“楽しい柔道”が選手を強くする。「やっと時代が追いついた」
――悠選手がコーチとして順子選手を見ているのですよね。どんなことを心掛けているのですか?
悠「僕は順子が小さいころから教えているわけではないので、これまで指導者の方が彼女に教えてきたこと、技を生かした柔道を目指してやっています。流派が違うと『この技はおかしい』とか『これはやめた方がいいよ』って言われることもありますが、僕は『もっとこうした方がいいよ』というふうに、否定しない。肯定しています」
――順子選手がリオで銅メダルを取れた要因は、何だったと考えていますか?
順子「“何で勝てたんだろう”ってあの試合が終わってからも自分で思っていて、勝ってもいつもあまり自信がつかないので、よく分からないんです」
悠「(順子は)柔道がうまいわけでもないし武器は少ない。その中で勝たせるのはすごく難しいんですけど、でも勝つんです。それは彼女に“やり続ける”という才能があるからだと思います」
――悠選手は以前、「“楽しい柔道”を追求する」という話をされていました。それはどういうことなのでしょうか?
悠「柔道はとにかく厳しいというイメージがすごく強いと思います。厳しくするのが当たり前。僕たちも高校まですごく厳しいところでやっていました。“楽しく”柔道することが否定されている空気がありました。でも、どうせ厳しい練習をするのであれば、楽しくやった方が強くなれると信じています。最近やっとそれが認められてきて、時代が追いついてきたのかなと」
―――選手自身が楽しめる空気づくりをするということですね。
悠「柔道では寡黙に練習するのが普通かもしれませんが、僕は声を出すようにしています。そうすると、練習でも対戦相手に伝わります。健常者柔道の強い大学の学生に練習を頼んでいるので、はっきりいって僕たちは勝てない。でもそういう相手でも負けたくない、この年齢でも。だから投げられたとしても、『次は負けんで、おっちゃん』って声を出していると、相手もだんだん本気を出してきてくれる。お互いを高め合えることができるんです」
順子からのプロポーズ。仕事と結婚の分岐点で出した、女の決断
――お二人の出会いは2013年、アメリカでの大会遠征だそうですね。お互いの第一印象はいかがでしたか。
順子「初めは、面白そうな人がいるなって感じでした。その後、メンバー全員と仲良くしている姿を見て、すごく気が遣える人なんだなって思うようになりました」
悠「僕は、出会う前から『遠征メンバーにかわいい子が入ってくるよ』とうわさに聞いていたんです。でも、当時の順子は本当におとなしくてしゃべりませんでした。デートするようになっても、『どこに行きたい』とかも言わなくて」
順子「あんまりしゃべりすぎて嫌われたらいやだなって。ご飯も最初は悠さんの前ではすごくおしとやかに食べていたんです(笑)」
――そこから2015年に結婚。なんと順子選手からプロポーズしたそうですね?
順子「私が東京、悠さんは愛媛という遠距離恋愛。お互いの休みを利用して行き来していたのですが、悠さんが『遠いとなかなか会えないしさみしいし、お互い大変だからもう別れよう』って言い出したんです。でも私はどうしても別れたくなくて、“距離が原因なら私が愛媛に行けばいいや”と思って。『だったら愛媛に行くので結婚してください』ってプロポーズしました」
――プロポーズを受けて、悠選手は?
悠「僕は“障害者同士の結婚はきついのかもしれない”と少し考えました。でも、それでも楽しく過ごせる人だなと思ったし、障害者同士の方が分かり合えることもあるかもしれない。それで、結婚を決めました」
――女性からプロポーズするってなかなか勇気がいりませんか? プロポ―ズをされたくてその言葉を待っている女性って多いじゃないですか……(泣)。
順子「その時はあまり何も考えてなかったですね。悠さんと一緒にいられる方法を考えていたら、“結婚すればいいんだ!”っていう感じで。待っていてもプロポーズしてくれそうにないと思ったし、“相手から言ってもらわないと”というこだわりはあまりなかったです」
――仕事と結婚。両立できるときもあれば、何かを選択しなければいけないときもある。順子さんにとって決断の決め手はなんだったのですか?
順子「柔道はどこに行ってもできるけれど、悠さんという人間は一人しかいないと思ったからです。結果として、悠さんと結婚して“楽しい柔道”がまたできるようになったので、今も続けられています。悠さんと出会わずに一人で続けていたら、もう今ごろ柔道をやめていたかもしれない」
―――それだけ悠選手に魅力があったということですね。
悠「僕、モテますからね(笑)。男は顔じゃない、トーク力だっていうことを証明しています」
順子「内面は本当に面白いし優しくて好きなんですけど、本当は、私の外見のタイプはジャニーズ系なんです(笑)。ファンクラブにも入っていて、Kinki Kidsが一番好き。今はキンプリ(King & Prince)も大好きです」
夫婦円満の秘訣は、「コミュニケーション」と「認め合うこと」
――柔道でも私生活でも時間を共にするお二人は、お互いの長所や短所をすごく分かり合っているのではないかと思います。
悠「順子の長所はやはり“やり続ける才能”ですかね。苦手な家事でもやり続けたことで倍ぐらいできるようになったし、柔道においても自分の弱いところを理解しつつやり続けて強くなっているのは本当にすごいと尊敬しています。短所はハートの小さいところ。リオで銅メダルを取った後、プレッシャーに押しつぶされていた時期がありました」
順子「悠さんの長所はやはり話すのがうまくて気も遣えて、誰とでもすごく仲良くなれてムードメーカーなところ。短所はちょっと気が短くて、すぐイラっとして怒っちゃうところ。他のことで少し機嫌が悪いときには“それ私のせいじゃないでしょ”って思うこともたまに(笑)。それ以外の短所はあまり見当たらないですね」
――結婚生活では楽しいこともあれば、苦しいこともいろいろあると思います。お二人はどう乗り越えているのでしょうか?
悠「僕たちは、つらいときもお互いを認め合っているから分かり合えると思っています。対等だと思っているから思ったことを言い合える。お互いが認め合っていなくて関係が下とか上とか感じてしまうと、うまくいかないんじゃないかなって。お互い年齢も違うけれど、いいところも悪いところも認め合って対等な関係にあるからうまくいっていると思います」
――夫婦間で“仕事”と“家庭”を切り離している人も多いかと思います。お二人は、夫婦で柔道という“仕事”を共有しているというところも大きいですよね?
悠「仕事とプライベートは分けていませんね。別にプライベートだからといって柔道の話をしないわけでもないし、そこで分けるとひずみができるわけじゃないですけど、僕たちはそこで気を遣うことはしない。プライベートも仕事も同じテンションでやっているので、うまくいっているのではないでしょうか」
――お二人を見ていると、とても会話を大事にしている印象があります。
悠「やっぱりしゃべらないと分からないですよね。だから僕は他のいろんな人に会っても、しゃべらないと相手がどういう人か分からないと考えています。特に視覚に障害があると相手の表情や考えが分からないときがあるので、コミュニケーションをより大事にして相手を知る。相手を知ってくると人間関係もうまくいく。だから夫婦もカップルでもコミュニケーションをたくさん取った方がいいと思っています」
2020年、そしてその先へ 二人をつないだ柔道に、はせる思いとは
――2020年東京パラリンピックまで1年半余りとなりました。試合会場となる日本武道館で一番高い場所、夫婦そろって立ちたいですよね。
順子「そうですね。でもその前に出場できるようにがんばらないといけません。残り1年半、新しいことに取り組むというよりは、試合をして、課題を修正して、の繰り返しですね」
――順子選手は去年4月のワールドカップで金メダル、11月の世界選手権で銀メダルと、成績を残し続けています。悠選手は、夫として、コーチとして、喜ばしくありながらも刺激を受けるのではないでしょうか?
悠「リオの前はまだ追いつける距離でライバルだと思っていたんですけど、去年の春から金・銀と取ったので、今はライバルだとは思っていないですね。悔しいという感情も今はない。順子を輝かせながら、自分もがんばろうという感じです。もちろん二人そろっての金メダルは狙っています」
―――そうなれば、競技の注目度もますます上がりそうですね。
悠「以前、柔道の指導者の方から『夫婦で取り組んでいる柔道の姿が真の柔道だと思うので、もっと広めて、がんばってください』というメッセージをいただきました。楽しく柔道して、結果を残して、もっと競技人口を増やせたらいいなと思っています」
―――ずばり、お二人にとって柔道とは何でしょうか?
順子「柔道をしているときが夢中になれる時間なので、そういう時間があるということが自分にとって自信になっています」
悠「こうやって生活できているのは柔道のおかげだし、順子と出会えたのも柔道のおかげだよね。二人の好きな柔道でご飯を食べることができて楽しく過ごせているので、結婚してよかったです」
順子「そうですね。将来的には子どもも産んで、幸せな家庭を築き続けたいですね」
―――もし息子さんが産まれたら、悠さん似とキンプリ似、どちらがいいですか?
順子「キンプリ似かな(笑)」
悠「ジャニーズ顔でこのトーク力を受け継いだら大変なことになるよ!(笑)」
<了>
取材協力:CHICHICAFE(東京都世田谷区玉川1-2-8)
[PROFILE]
廣瀬悠(ひろせ・はるか)
1979年生まれ、愛媛県出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。B3クラス・男子90kg級。小学2年で柔道を始め、高校時代にインターハイ出場。緑内障による視力低下で視覚障害者柔道に転向。左目は見えず、右目は中心だけ視界が残っている。2008年北京パラリンピック男子100kg級で5位。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは男子90kg級で出場。選手として東京2020パラリンピックを目指す傍ら、妻・順子選手のコーチを務める。
廣瀬順子(ひろせ・じゅんこ)
1990年生まれ、山口県出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。B3クラス・女子57kg級。小学5年で柔道を始め、高校時代にインターハイ出場。大学時代に病気の合併症で視力が低下。中心が見えず、左右に残った視界がぼんやり見えている。2016年リオデジャネイロパラリンピックで、パラリンピック柔道女子日本初の銅メダルを獲得。2018年4月のワールドカップで金メダル、11月の世界選手権で銀メダルに輝いた。東京2020パラリンピックでは、夫・悠選手と共に夫婦そろっての金メダルを目指す。
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