「高校卒業するまで休んだ記憶がない」幼い頃のレスリングの練習

―家族で練習をしていたのですね。
太田:そうですね。兄弟は全員レスリングをやっていました。小学生の時は兄弟全員、全国チャンピオンになっていました。母親はまったくレスリングには入ってきていなくて、家に帰ると逃げ場がある感じでしたね。

―毎日5時間の練習はすごいですよね。
太田:そうですね。でもさすがに始めた小学2年生くらいは2時間くらいだったと思います。

―それでも毎日やっているのですね。
太田:そうですね。盆、正月関係ありませんでした。高校卒業するまで休んだ記憶がないです。インフルエンザで3日くらい休ませてくれたかなというくらいです。

―世界チャンピオンはそれくらいやるのですね。
太田:小さい頃はそんなに関係ないと思います。実際、僕がナショナルチームで活躍できるようになったのは大学入ってからです。

―でも基礎がありますよね。
太田:しんどい練習に耐える力や、小さい頃に培わなければいけない動きや運動能力は鍛えられたかもしれませんが、小学校中学校でどれだけ鍛えても大人に勝てるわけではないので、世界チャンピオンやオリンピックでメダルを取るために必要ではないと思っています。

「練習にならないから離せ」印象に残っている試合

―最初に全国2位の人を倒した時の周りの反応は覚えていますか。
太田:覚えていないです。この出来事も後から言われました。この時は、「嫌だから早く倒して帰りたい」と思っていました。相撲をやっていたので、タックルも知らなかったので、ぶつかって倒しました。

―最初の試合は覚えていますか。
太田:レスリングを初めて、1,2週間くらいに、東ライオンズ杯というライオンズクラブが主催する大会が3月にあって、その1,2年生の部で優勝しました。

―その時から強かったのですね。
太田:周りの子どもたちよりは、相撲をやっていたのでフィジカルが強かったと思いますね。レスリングというよりかは、突っ込んで倒して抑え込んでいました。

―印象に残っている試合はありますか。
太田:誰と対戦したかは覚えていませんが、全国大会の決勝戦で、試合始まってすぐタックルをして抑え込みました。レスリングは抑え込んだらホール勝ちとなるので、抑え込んだら、父親が「離せ」と叫んで、「なんで」と聞き返したら、「練習にならないから離せ」と言われました。東京であった全国大会で、わざわざ東京まで来たのにすぐ終わったら練習にならないから「離せ」と言ったみたいなのですが、その時だけは全力で無視して抑え込みました。これはレスリング人生の中で、トップクラスで印象に残っている試合ですね。

―そんな指示あるのですね。
太田:ホール体勢になって、「絶対抑えろ」とか「離すな」と言われることはたくさんありますが、「離せ」と言われたのは父親が初めてでした。それから5,6回くらい言われましたね。

―それほど圧倒的な強さだったのですね。
太田:父親的には、その相手は当時の僕にとって良いライバルだと思っていたらしいですが、いきなりタックルしてホール体勢に持っていってしまったから、誤算だったのだと思います。

「俺って負けるんだ」競技を楽しいと感じた瞬間

―悔しかった経験はありますか。
太田:小学生の時は、最初の全国大会しか負けたことがなくて、自分のことを天才少年だと思っていましたね。でも小学生の全国大会を4連覇して、中学1年生で全中に出場した時に、準々決勝くらいで負けてしまって、「俺って負けるんだ」と思ったことを覚えています。それまで父親にやらされていた練習だったのが、「勝つためにやろう」と思って取り組まないと勝てないと思ったきっかけですね。

―なぜそういう考えになりましたか。
太田:僕は負けず嫌いが半端ではなくて、負けたくありませんでした。一番下の階級で38㎏級だったのですが、僕が32㎏しかなくて、体格差があったので、もっと体が大きくなる必要もあるなと感じ、やらされている練習ではいけないと思うようになりました。そこから自分でたくさん食べるようになったり、たくさんトレーニングをしたりするようになりましたね。実際中学2年生の頃には10㎏増やして、43㎏になって、5㎏減量して試合に出ていました。

―その負けから意識が変わったのですね。
太田:そうですね。そこからレスリングが楽しくなりました。やりたくなくて仕方なかったのですが、面白くなりました。

―負けて面白いと思うのは不思議ですね。
太田:その練習をして、中学2年生の全中で優勝したから面白くなりました。自分で練習をしたから結果が出たという成功例を得ることができたので、楽しくなりましたね。

―どういう風に変わりましたか。
太田:中学生で減量をしない方がいいかもしれませんが、当時の僕は、減量をして出るくらいでないと勝てないと思いました。中学生になると、この前まで小学6年生だった選手と、もうすぐ高校生になる選手が戦います。高校生は当たり前に減量していて、中学3年生でもちゃんと減量して調整して出てくるので、そこに体の大きさで負けてしまったらダメだと思って、たくさん食べるようになりました。そして、「体を大きくするためにはどうしたらいいか」と父親や先生に聞いて、「何を食べればいいか」、「どんなトレーニングをしたらいいか」ということを勉強していました。「どうしたら強くなるか」と常に考えていましたね。学校の勉強はまったくしていなくて、全部練習のために生活をしていました。

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VictorySportsNews編集部