幅広い層に抜群の知名度を持つ那須川

 那須川はキックボクシングで42戦全勝(28KO)という驚異的な戦績を残した。アクロバティックな蹴りだけでなく左ストレートや右フックなど打撃にも光るものがあった。昨年6月、「THE MATCH」と銘打たれた武尊との試合では、初回にカウンターの左をヒットして値千金のダウンを奪い勝利を収めている。
 活躍の場はリングの上に限らず、テレビのバラエティ番組にもたびたび出演して個性を発揮。すでに格闘技の枠を超えて幅広い層に抜群の知名度を持つ存在となっている。

 そんな那須川のボクシングへの転向だけに、注目度は高いものがある。8日の試合はアマゾンのPrime Videoで生配信されるが、前述のとおりWBC、WBA世界ライトフライ級王者の寺地拳四朗(BMB)の防衛戦、井上尚弥の弟である井上拓真(大橋)が出場するWBA世界バンタム級王座決定戦を差し置いて、那須川対与那覇の6回戦がメイン格の扱いとなっているほどだ。テレビCMでも同様だ。異例中の異例といえるが、ビジネス面からみれば当然のことであろう。

ボクシング界は歓迎+刺激

会場の有明アリーナは1万5000人の収容人数になるが、そのチケットは最高額が11万円となり、続いて7万7000円、5万5000円、3万3000円、2万2000円、1万1000円に設定されて上々の売れ行きと伝えられる。通常、観戦チケットは井上尚弥(大橋)や村田諒太(帝拳)などのスター選手を除き最高額5万円ほどだが、今回はダブル世界戦+那須川のデビュー戦とあって比較的高い値段設定となっていた。それでも売れ行きが好調なのだから、これは那須川効果といっていいのかもしれない。
井上尚弥や村田の活躍で興味を持つ若い人が増えたとはいえ、ボクシングファンの年齢層は高いといわれている。幅広い層に名前が知られている那須川は、そういった点でも革命を起こす可能性を秘めているといえる。

 一方、主役の座を譲ったかたちの先輩ボクサーたちはじくじたる思いを抱いているかと思いきや、必ずしもそういうわけではなさそうだ。
「THE MATCHは見たし、(那須川は)技術もスピードもある。注目度の高いイベントに出られてうれしい」(寺地)「こういう豪華なカードのなかで戦えるのでうれしい。ビッグチャンス」(IBF世界フェザー級挑戦者決定戦に出場する阿部麗也)「天心選手のデビュー戦ということで注目度が高いので、これは自分にとってもチャンス」(WBOアジアパシフィック ウェルター級王者の佐々木尽)と歓迎の声が多い。
もちろん、彼らが試合で目立って主役になろうとしていることは言うまでもない。那須川の転向はボクシング界にはいい意味で刺激を与えているようだ。

デビュー戦の相手は元アマ高校王者のハードパンチャー

 那須川の商品価値と注目度を認めつつも、期待の一方で不安視する声があるのも事実だ。
蹴りと打撃が許されたキックボクシングから打撃だけのボクシングへの転向となると、真っ先にタイの選手が思い浮かぶ。転向から3戦目で世界王者になったセンサク・ムアンスリン、4戦目で戴冠を果たしたウィラポン・ナコンルアンプロモーションらの成功例は広く知られている。
 1990年代から2010年代にかけて活躍した元世界ヘビー級王者のビタリ・クリチコ(ウクライナ)は十代のときに空手、キックボクシング、アマチュアボクシングの3競技を同時に習い、キックボクシングでは国際大会で優勝した実績を持っている。
 その陰で多くのキックボクサーたちが、涙を流してきたことも忘れてはなるまい。キックの世界王者から1979年にボクシングに転向した島三雄は、デビューした年に日本ランク上位まで駆け上がったが王座挑戦を前に敗れて引退した。活動期間は1年と短かった。
 最近では藤本京太郎(角海老宝石)、土屋修平(角海老宝石)、武居由樹(大橋)らが有名だ。藤本はボクシングで日本ヘビー級王者になり、世界15位内にランクされた。土屋も日本ライト級王座を獲得し、現役の武居もすでに東洋太平洋王者になっている。ある程度の成功例といっていいかもしれない。

 那須川はどうなのだろうか。とにかく目の前の試合をクリアしないことには先の話はできないが、デビュー戦で拳を交える与那覇は決してイージーな相手ではない。
与那覇はアマチュアの高校選抜大会で全国優勝するなど63戦50勝13敗の実績を持ち、プロでは17戦12勝(8KO)4敗1分の戦績を残している。切れのある右ストレートやアッパー系のパンチなど多彩で、「舞台が大きければ大きいほど力が出せる」と話す。試合が発表された2月は日本4位だったが、その後に上位選手が敗れるなどして3月29日付の日本ランキングでは2位まで上がっている。
キックボクシングとボクシングの違いだけでなく、与那覇そのものが那須川にとって危険な相手なのである。

(C)福田直樹

“先輩”藤本京太郎は「世界王者になれる」と断言

 デビュー戦を前に那須川は1日、後楽園ホールで行われた帝拳ジム主催のイベントで1500人余の観客を前に公開スパーリングを行った。世界戦の行事では選手が取材陣にトレーニングを披露することはあるが、デビュー前の選手が大勢の一般客の前でスパーリングを公開することは異例中の異例といえる。まして疲労がピークにくる試合1週間前という時期である。減量に入り、精神的にもナーバスになってくるタイミングだ。
 ところが那須川は登場前にグローブを着けた状態で逆立ちをするなどリラックスした様子。リングイン後はスパーリング相手の福井勝也(帝拳=4戦全勝3KO、日本スーパーバンタム級11位)に「かめはめ波」を送るポーズをしたり、笑顔を見せたりと注目されることを楽しんでいる印象だった。
 3分×2ラウンドのスパーリングでは観客の多くがスマホで動画撮影するなか、素早く左右に動いてスピーディーでタイミングのいい左ストレートを繰り出すなど猛練習の成果の一端を披露した。終了後はマイクを握り、「だいぶボクシングの動きになってきたと思いますが、どうですか?」と観客に問いかけるほどだった。すでにエンターテイナーとしては世界王者級といえる。ジムワークに加え昨秋と今年2月から3月のアメリカ合宿で、十分な手応えを得ているのだろう。

 リングサイドでスパーリングを見た“先輩”の藤本京太郎に話を聞いた。自身の体験をもとに藤本は、「キックボクシングとボクシングは陸上競技でいえば100メートル走と800メートル走ぐらいの差があるんです」と説明。「キックボクシングはアグレッシブに攻めていって相手にダメージを与えることが絶対条件になりますが、ボクシングはそれに加えてポイント勝負という面があるので頭をつかうことになるんです。それに前の手(サウスポーの那須川の場合は右手)をつかった駆け引きが多くなるし、キックボクシングとはリズムも違ってきます」と話す。
そのうえで那須川の近未来について話を振ると、藤本はまったく躊躇することなく言い切った。
「前の手をうまくつかうことができれば世界(王座獲得)まで行けます。はい、間違いなく行けます」
 似て非なるキックボクシングとボクシング。神童と呼ばれた男はボクシングの革命児になれるのか。まずは4月8日のデビュー戦に注目だ。


(クレジット)
文・原功 ボクシングライター


原功

1959年4月7日、埼玉県深谷市生まれ。82年にベースボール・マガジン社に入社し、『ボクシング・マガジン』の編集に携わる。88年から99年まで同誌編集長を務め、2001年にフリーのライターに。 以来、WOWOW『エキサイトマッチ』の構成を現在まで16年間担当。著書に『名勝負の真実・日本編』『名勝負の真実・世界編』『タツキ』など。現在は専門サイト『ボクシングモバイル』の編集長を務める。