○女子プロ野球リーグの消滅
 2010年に誕生した女子プロ野球リーグは、京都に本社を置く健康食品会社「わかさ生活」がほど単独で運営をし、選手はわかさ生活の社員として雇用されてきた。2チームで始まった同リーグは、2018年までに4チームとなり、所属選手も71選手へと増加した。選手が増える一方、リーグの運営は毎年のように赤字を出し、逼迫した運営状況に置かれていた。そして2021年7月、リーグに所属していた選手全てが退団。事実上の消滅となった。

主体的にならなければ、野球は続けられない

ー練習はいつ行われているのか
(里)
 私たちが所属する埼玉西武ライオンズ・レディースは、チーム練習を土日に行なっています。昨年の7月からは、埼玉県加須市と連携協定を締結し、球場を使用させてもらうほか、チームの広報、運営拠点となる事務所をご提供いただいています。全体練習の他に、水曜日には自主練の時間を設けて、各自で動く時間もあります。
(山崎)
 チームメイトのバックグラウンドはそれぞれで、平日仕事をしている人もいます。どうしても限られた時間の中で活動することになるので、自然と自主性が育まれ、選手たちは自ら考え、工夫して練習しています。


ー現状の競技環境についてどう考えるか
(山崎)
 2020年に女子プロ野球が事実上消滅し、有力な選手たちが全国各地のクラブチームに散らばりました。女子野球全体の底上げに繋がっているのは、良いことだと思います。ただチームによって「野球のできる環境」はそれぞれです。メインスポンサーである企業に選手全員が雇用され、仕事と練習の両立ができるチームもあれば、私たちのように仕事は個人に委ねられているチームもあります。

(里)
 一方で、チームのスポンサー企業で雇用され、競技に専念できる環境のあるチームもあります。「野球が毎日できる環境」にあるチームとの差が広がっていると、今年のクラブ選手権ではとくに感じました。

 選手のみならず、指導者も毎回練習に参加できるわけではない。選手自身で戦術やチームの練習メニューを組むこともある。与えられた環境で活動できればどれだけ楽だろうか。しかし、それでは持続的に競技に取り組むことは難しい。選手ひとりひとりが主体的に競技と向き合わざるを得ない。そうでなければ、大好きな野球は続けられないのだ。

(C)SEIBU LIONS LADYS

男性と比較されても

 女子スポーツの発展が遅れている要因の一つに、観戦者の潜在的意識に「性別による競技への印象」が挙げられる。特に男性のスポーツがメジャーであればあるほど、女性のスポーツはスピード、迫力、衝撃度全てが男性との比較対象となる。女子野球も、いつも男性の野球と比較されてきた。
ーどんな点で比較されていると感じるか
(山崎)
 例えば、女子野球の場合ホームランの確率が男性の野球と比べて低いです。球速が130km/h出るか出ないか。バッターのスイング時に力を乗せて打つということが難しい。利用する球場も男性と一緒なので、柵越えだって頻繁に起こるわけじゃない。身体的、筋力的な差があるからどうしても仕方のないことですが、そういったインパクトのあるプレーは男性と比較される部分ではあるかなと思います。その代わり、バントなどの小技を使ったり、ライトゴロを取ってファーストでアウトにするとか、男性の野球ではあまり見られないプレーが発生したりするのが面白さかなと。
(里)
 私はピッチャーなので少し印象が違うのですが、ホームランを打たれるとめちゃくちゃ落ち込むので、打たれないように気をつけています。(笑)ボールを捉えられたら、女子選手でもホームランを打てる選手は沢山いるので、そうさせないようにと意識しています。
ー指導に関しても感じることはあるか
(山崎)
 私は学生の頃、男性の中に混じりプレーをしていました。指導者も男性が多くて、参考にできるものが男性の野球しかなかったです。今は情報量も多くなり、指導者の数も、選手の人数も、引退して指導者になった女性の数も増えてきたことで、「女子野球」の指導について考える機会は増えてきたかなと思います。
(里)
 体の構造は男性と女性とでは違うわけで、男性と同じことをしても速いボールを投げられないし、バッティングもうまくいかないと思います。そこに気がついてからは自ら情報を探し、自分に必要なことは何か考えることをしています。今は、海外の選手のトレーニング情報をSNSで拾って、実際に試してみたりしてますね。

ファンとともに歩む競技人生

 女子プロ野球時代、神宮球場の前で試合情報が記載されたビラを配っていたら「女子野球かよ」とビラを返されたことがある。女子野球日本代表が女子野球ワールドカップ六連覇を果たしても、女子野球に対する世間的な注目度は低いと感じる。それでも、応援してくれるファンとともに競技人生を歩んできたという2人。

(山崎)
 長い競技人生の中でプロ選手も経験し、今はクラブチームでプレーしていますが、たとえ環境が変わっても応援してくれている人たちはいるということを強く感じます。コロナ禍ということもあり、なかなかファンの方と交流する機会がないのが残念です。もう少し落ち着いたら、皆さんに試合を見てもらいたいですし、直接お話しできる機会があればいいなと思っています。
(里)
 昔と比べて競技に対する認知度はかなり向上したと思います。「女子野球、世界でも強いよね」とか「女子野球見てみたい」と言ってもらえる機会が増えました。甲子園で試合ができるようになったり、少しずつですが皆さんの目に留まることも多くなってきたと思います。過去に「女の野球かよ」とバカにされて・・・すごい悔しい思いをしながら、みんなで頑張ってきたからこそ、温かい声をいただくようになり嬉しいです。だからこそ、応援してくれる人たちの前でいいプレーをしたいと強く思います。

 時代の流れに伴って、女性が社会で活躍できる世の中へと少しずつ変化している。スポーツ界でも変化の波はきているが、未だ男女の格差は色濃く残っている。その差を感じながらも、彼女たちは選手として女子野球の環境を整えたいと強く願い、野球を好きになってくれた女の子たちを想い、普及活動にも積極的に取り組む。

(C)SEIBU LIONS LADYS

女子野球を広めたい

ー女子野球が抱える問題に対して個人ができることとは
(山崎)
 私は現役選手なので、お客さんに「女子野球ってこんなにレベルが高いんだ」と思ってもらいたいと考えてプレーすることだと思います。打球の速さを見せて、女子野球は面白いということを表現したいです。プレー以外では、野球教室を通じて子どもたちに野球の魅力を直接伝えるという活動をしています。
(里)
 選手として自立することだと思います。自分で練習する環境を整えたり、野球教室をしたり、生計を立てるという部分を含め自立できれば、女子野球のモデルケースになることができると思います。現役を引退したときに、競技を続けるか迷っている子どもたちに「競技を続ける選択」が当たり前に選べるよう支援していきたいです。


ー野球教室は女子が対象なのか
(山崎)
 女子だけではなく、男子の選手を教えることもあります。お母さんたちの評価がかなり影響していて、同じ女性という目線で野球を伝えることができます。力任せではなく、どう体を使えばいいかなど考えて指導するよう心がけていて、その視点がお母さんにとっても安心してもらえるのかなと思います。
 私がやってる姿を見て「女性でもこんなにできるんだ」と思ってもらえて、「子どもとキャチボールをしたいから、投げ方見てください」とお願いされることもあります。
(里)
 女子プロ野球リーグの掲げているビジョンに「お母さんとキャッチボール」というのがあって、実際に連盟が主催したイベントとかもありました。スポーツの価値に性別は関係ないですが、色んな視点でスポーツの魅力を伝えられることもあると思います。

ー女子野球を広めるためには
(山崎)
 やっぱりまた、プロ野球リーグを再開させたいです。「好きなことを存分にできる」ことが素晴らしいことなのだと、プロを経験したからこそ感じました。今野球をする子どもたちが大人になっていったときに、野球が続けられる環境であってほしいなと思います。

ーギフティングという形のつながり
(山崎)
 ファンの方からのギフティングを通じて1年間野球に集中することができました。球場で直接応援することが難しい中でも、こうしてギフティングと共に届くメッセージがモチベーションにつながっています。ファンの方とのつながりを感じた1年でした。来年もこの感謝の気持ちを忘れずに、頑張りたいです。
(里)
 夏の大会で負けて挫けそうになった時に、ギフティングしてくださった方のメッセージが届きました。なかなか試合がない中で、ギフティングというサービスを通じてファンの皆さんと繋がっていることを実感でき本当に励みになっています。今回は結果という形で恩返しできなかったのですが、来シーズンは更なる高みを目指して頑張っていきたいです。

 子どもたちにとっても、お母さんにとっても、「身近なヒロイン」でいたい。
厳しい環境に身を置きながらも、野球への愛、野球を選ぶ子どもたちの未来を真剣に考える里選手と山崎選手。何かを犠牲にしなければ野球を続けられない現状と真摯に向き合い、未来の女子野球界を変えたいと強く願い行動する姿がそこにはあった。

里選手、山崎選手をサポートしよう

里選手、山崎選手への想いをメッセージにして、お金と共に届けることができます。届けられたお金は里選手、山崎選手の活動資金として活用されます。

-里綾実-
1989年12月21日生まれ。鹿児島県出身。4歳上の兄の影響で野球を始めた。
女子野球の名門神村学園へ進学、全国大会ではチームの優勝に大きく貢献した。高校卒業後女子野球日本代表を目指し尚美学園大学の女子硬式野球部に入部。2014年の第6回IBFA女子W杯にてMVPを獲得。2016年には日本女子プロ野球機構のコンベンションdせMVPに当たる角谷賞を受賞した。2019年プロ野球リーグを退団し、2020年4月より現在所属する埼玉西武ライオンズ・レディースでプレー。

-山崎まり-
1989年11月7日生まれ。北海道出身。3歳上の兄の影響で小学2年生で野球を始めた。高校時は野球部のマネージャーを務めながら、男子選手に混じりプレー。週末には女子硬式クラブチームホーネッツレディースに所属。卒業後は筑波大学に進学し、男子学生とともに軟式野球部でプレー。在学中2010年に行われた第4回IBAF女子ワールドカップに日本代表として出場し世界1を経験した。2019年プロ野球リーグを退団し、2020年4月より現在所属する埼玉西武ライオンズ・レディースでプレー。

ライター:青木蘭

3歳でラグビーを始め、15歳まで男子に混じり茅ヶ崎RSでプレー。 中学卒業後、親元を離れ石見智翠館高校に進学。全国大会2連覇、 MVP獲得。慶大に進学し、同大学初の女子ラグビーチームを創設。 卒業後は横河電機株式会社に就職しグローバルブランディング活動 と社内広報誌の編集を担当。 横河武蔵野アルテミ・スターズでプレーしながらドュアルキャリア の形成に取り組む。2021年3月には、講談社主催の次世代発掘オー ディションミスiD2021でドュアルキャリア賞を受賞。社会人3年目現在、プロ選手としてラグビーに専念する環境を求め模索中。


青木蘭