部屋の状況変わっても

 3月の春場所では日大出身の尊富士が110年ぶりとなる新入幕優勝を果たした。こちらは一番下の序ノ口から取り始め、初土俵から所要10場所。14日目に右足を負傷しながら千秋楽で勝利して13勝2敗と立派な成績で終えた。現在では、付け出しを除いての最速優勝となっている。

 尊富士がけがの影響で休場した夏場所、1学年下で日体大出身の大の里が主役になった。初日にいきなり照ノ富士に真正面から挑み、2度目の対戦で初めて勝った。番付発表前には、部屋で20歳未満の幕下以下力士と昨年9月に飲酒したことが発覚。師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)とともに日本相撲協会から厳重注意を受けた。場所前の新三役昇進の記者会見では謝罪も交じる珍しさだったが、千秋楽が終わってみれば大仕事をやってのけた。

 師匠の初優勝は初土俵から実に89場所を要する遅さだった。当時は横綱白鵬(現宮城野親方)という〝絶対王者〟が君臨し、日馬富士や鶴竜といった横綱陣、エストニア出身の大関把瑠都やブルガリア出身の大関琴欧洲といった巨漢たちもいた。出世のスピードに髪の伸びが追い付かないほどの若手がすんなりと賜杯を抱くことはなかった。もちろん、192㌢、181㌔の体格を持つ大の里の潜在能力や勢いは確かだが、夏場所は一時、三役以上9人のうち半数を超える5人が休場。状況は大きく異なった。

 また、場所後の5月30日の相撲協会理事会では、二所ノ関部屋付きだった中村親方(元関脇嘉風)の独立が承認された。大の里にとっては日体大の先輩に当たる親方で、何人もの力士も転籍していくだけに影響を懸念する向きもある。ただ、部屋持ちのある協会幹部は「元々、大の里は稀勢の里に付いていくという話を聞いていた。四股とか基礎を大切にする稽古を続けていけば、さほど心配ないのでは」と分析。2年連続アマチュア横綱の実績を持つ大器は、鍛錬の継続で伸びしろがまだまだ広がっている。

好角家の楽しみ

 稀勢の里の前には特に、ことごとく白鵬という分厚い壁が立ちはだかっていた。一方で、覇権交代の象徴はいつの時代も物語を生み、ファンの心をくすぐる。白鵬がベテランの域に差しかかってきた頃、好角家で俳優の松重豊さんがインタビューで次のように語っていたのを思い出す。「今は白鵬時代で、誰が倒すのかという期待もあり、みんな観戦すると思います。ロマンをつくり続けてくれる白鵬に誰が引導を渡すかという点を含め、ここ5年は見ていきたいですね」。

 新旧交代につながるドラマチックな勝負は語り草となり、世間の注目を集めながら国技の歴史として紡がれていく。例えば、古くは戦前の1936年夏場所。強さを誇っていた横綱玉錦に対し、7度目の挑戦で初めて破ったのが当時関脇の双葉山だった。結果的に双葉山は殊勲の星を初優勝につなげ、不滅の69連勝をマークして一気に横綱に上り詰めた。大相撲人気は沸騰し、1場所の日数が11日から13日、そして15日に増えるほどの盛況ぶりだった。優勝32回の横綱大鵬は1971年夏場所5日目。「角界のプリンス」と呼ばれていた21歳の貴ノ花(のち大関)に敗れ、土俵を去る決断を下した。

 そして、ここ数十年で一番有名なのが1991年夏場所初日。18歳の貴花田が初挑戦で優勝31回の横綱千代の富士を撃破した。2日後に千代の富士は引退を表明し、貴花田はのちに横綱貴乃花となった。この一番は今でもことあるごとにテレビ番組などで紹介されている。また若貴ブームの一翼を担った貴乃花の兄、3代目横綱若乃花は2000年春場所で引退した。5日目に当時関脇で23歳の栃東(現玉ノ井親方)に負けて決意した。栃東は東京・明大中野高の後輩。敗れた取組後、相手が強くなったかと聞かれてこう口にした。「うん。うれしかった。栃東とやれて良かったです」。のちに栃東は大関に昇進。自分の限界を悟り、若手の成長を認める。いわば健全とも言える世代交代だった。

大相撲の魅力の一つ

 しかし最近は、上記のような目立った転換点になかなか出くわすことがない。白鵬は進退が懸かった2021年名古屋場所で15戦全勝の成績を収め、自身の史上最多優勝記録を45度に更新したのを最後に引退した。結局、誰からも引導を渡されることなく現役を退いたことになる。他の横綱では、朝青龍や日馬富士がともに自身の不祥事による引責という残念な形で角界を去った例もある。

 現在の照ノ富士は腰痛などにより2場所連続で休場している。夏場所前には新たに左脇腹を痛めた後は稽古で相撲を取れず、直前まで出場を明言しないほどだった。初日に大の里に敗れて翌日の2日目から早々に休場。膝にも古傷を抱えるなど満身創痍だ。

 それでも1月の初場所では9度目の賜杯を抱いた。ある程度体調を整えて序盤を乗り切れば、懐の深さや差し身のうまさなどを武器にして、白星を積み重ねることができそうだ。しかも次に優勝すれば10度目。「ずっと言ってきている目標。早く達成したい」と2桁制覇に並々ならぬこだわりを見せる。けがなどで大関から一度は序二段まで転落し、そこからはい上がってきた精神力も尋常ではない。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の評は「モンゴル出身の中でも、大きくてこれだけ頑張る力士はなかなかいない」。32歳の一人横綱には、もう一花咲かせることが期待される。

 大の里は夏場所で照ノ富士に勝ったが、横綱の状態はいいとは言えなかった。壁は高ければ高いほど、乗り越えたときのインパクトは大きい。照ノ富士に加え、夏場所で途中休場した貴景勝や霧島のけがが回復し、以前から活躍する上位陣が強さを取り戻した上で、大の里や尊富士といった若手が果敢に挑んでいく―。どこの世界でも活性化に不可欠な〝新陳代謝〟。せめぎ合った末の世代交代は、大相撲が人々を引きつける一因ともなっている。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事