2019年トゥーロン国際大会で森保ジャパンにも招集され、注目を集めるレノファ山口の小松蓮選手。中高時代には県三部リーグを経験し、「エリートとは程遠い」と語る小松選手は、これまでどのような経験をし、今どのような考えを持っているのか。Vol.4では幼少期を中心に当時の思い出を語った。

「保育園のかけっこもビリ」運動神経の悪かった幼少期

ーサッカーはいつ頃始められたんですか?

小松:僕は3歳の時にサッカーを始めたんですけど、3歳まで東京に住んでいて、そこから小学2年生までは神奈川に住んでいました。父は僕にサッカーか野球をさせようとしていて、幼稚園に入る時に地域のボランティアサッカーみたいなものに参加していたのは覚えています。その時期の記憶ってかなり曖昧なんですけど、とにかく幼稚園に入るまでも父とボールを蹴っていたと思います。周りの子とは少し違って、物心つく前からボールを蹴っていたので、サッカーをする日常が当たり前になっていましたね。それもあってか、サッカーを今まで辞めたいと思ったことは一度もないですけど、僕自身サッカーがすごく好きっていうわけでもないんですよね。サッカーを始めた時の記憶もないし、気づけばサッカーをやっていたって感じなので。サッカーを始めてから覚えている記憶は小1から。それまでは地域クラブで軽くやるだけだったので。そこからヴェルディースクールに行くかって話になったんですけど、行ってみると他の子たちみんながうまくて、当時僕は運動神経も悪かったのでめちゃめちゃ下手だったんです。保育園のかけっこもビリだったりもしました。母から聞くと、1日体験に行っただけでもう辞めたいって僕は言っていたそうです。母は無理していく必要はないと思っていたそうなんですが、父に相談すると、辞めないで行けと。そのかわり父が一緒に毎朝学校行く前に朝練しようって言ってくれて、それから毎日練習するようになりました。それまでは週1のサッカースクールに行くか、近所のお兄ちゃんとかと軽くやるくらいだったので、サッカーを嫌になるとかはなかったんですけど。ヴェルディースクールの子はみんなうまくて、ボールもなかなかさわれないくらいだったんで、嫌にはなりますよね。でも、そこからはほぼ1日もかかさずに父と一緒にサッカーし始めて、父も僕も将来サッカー選手を目指そうという意識が芽生えましたね。そうしていくうちにヴェルディースクールにも慣れてきて、通っていた小学生のチームに入って、その中では一番うまいくらいにはなりました。

―ヴェルディースクールに入る前までは、プロサッカー選手になるとかは考えていなかったということですね。

小松:保育園にいた頃のことなんで、正直覚えてないんですけど、それでもサッカーは好きでやっていましたね。ただ、プロサッカー選手になるなんて多分思ってなかったと思いますよ。

―なぜ小学生に入った時点ではサッカーを続けたのですか?

小松:当時から、「父の言うことは絶対」みたいなところがあったんで、嫌だとは言えなかったですね。父にも僕にサッカーを頑張らせたかった理由が何かあったんじゃないですかね。そのかわり、僕をほったらかしにはしなかったですね。僕はサッカーを始めてからFWしかやったことがないんですけど、父が練習に付き合ってくれたことで、点をたくさん取れるようになって、点を取る楽しさが湧いてきましたね。毎日練習することでだんだん自分が上手くなっていくいのがわかってきて、それも楽しみで。小学一年生の時に初めてスパイクを買ってもらったので、父のバイクの後ろに乗って、公園で毎日練習していました。

―どんな練習をお父さんとしていましたか?

小松:キックを飛ばす練習とか、コーンを置いてドリブルの練習、シュートとかをしていました。父はサッカー経験者でもなかったので、サッカーの本をいっぱい買ってきて、父自身も学びながら教えてくれましたね。リフティングも父はやったこともなかったんですけど、独学で学んで父が先に100回できるようになったんですよ。それでお前もやれって言われて、暇な時間はずっとリフティングしていましたね。父と一緒にうまくなっていってました。

「宿題は後でいいから」父親との二人三脚の日々

―サッカーが上手くなっていく中で、手応えを感じた瞬間はありましたか?

小松:スクールの中でのミニゲームとかでも点をたくさん取れるようになってきた時とか、小2で学校のチームに入ったんですけど、そこでも一番点を取っていたので自信にもなりました。

―逆に挫折するようなことはありましたか?

小松:小学校のチームで大会に出たりもしていたんですけど、同じ地区に鷺沼SCっていうチームがあって、そこに今川崎フロンターレにいる(田中)碧がいたんですよ。めちゃめちゃ強くて、3回くらいやったんですけど全然勝てなかったですね。

―お父さんの教育方針を教えてください。

小松:勉強とかの話は全くされなかったですね。例えば、学校帰ってからも「練習に行くぞ」って言われて、宿題があるっていっても「そんなのは後でいいから」とか言われていましたね。本当に変わった人だと思います。僕はサッカーを仕事にしましたけど、家の中では一番底辺なんです。父親が比にならないくらい稼いでいるので。僕自身高校生の時とかは、父に対して仕事のことはわかっていても、サッカーのことは分からないだろっていうふうに思っていたんですけど、サッカーにしろ仕事にしろ、根本にあるものは変わらなくて、失敗した後には反省して改善するとかそういうのは変わらないんですよね。考えて生きているっていうのが、サッカーでもそうですし、他の職業でも稼げる人稼げない人との差だと思いますね。そういうふうに考えたりすることは小さい頃から欠かさなかったですね。ただ父には試合があるごとに何点取ってこいとか言われていたんで、毎週試合が来るのがいやでしたね。点を取れなかったら怒られるし。でも点を取れたら楽しいなって感じるようになりましたね。いいプレーをしても、点を取れなければダメって感じでした。

―試合前はどんな会話をされるんですか?

小松:行きの車の中ではよくある感じで、「点とってこいよ」とか言われていましたね。ただ必ず報酬みたいなのをつけてくれていました。例えば、中学2年の頃には松本山雅のユースの試合に行っていたんですけど、当時の山雅ユースってJFLの育成組織だったので本当に弱くて。逆に相手はJユースだったんで、めちゃめちゃ強かったんですよね。その中でも一点取れたら、パズドラに2,000円分課金できるとか(笑)。それでめちゃめちゃ頑張って、その大会で3点くらい取ったんですよね。
小さい頃から、新しいスパイクとかサッカー用品は惜しみなく買ってくれたんですけど、ゲームとかは何か目標を達成しないと買ってくれなかったですね。

―どんな目標を与えられていたんですか?

小松:一つの大会で何点取るとかでしたね。自分の親がやばいところが、どれだけ遠い会場でも一試合も欠かさずに見に来るんですよ(笑)。それがすごい嫌でしたね。ただ点を取れば何かがもらえたんで、それが唯一の楽しみでした。

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