投手でのプロ入りを目指していた高校時代

侍ジャパンの3大会ぶり3度目となる優勝に沸いたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。その熱狂は現地だけにとどまらず、準決勝のメキシコ戦で村上宗隆(ヤクルト)が逆転サヨナラ打を放った瞬間には、選抜高校野球大会が行われていた甲子園球場でも、スマートフォンで中継や速報を見ていたファンから歓声が上がったことが話題となっている。筆者もその瞬間は甲子園にいたが、こんなことは初めての体験である。

そんなWBCで話題の中心となったのはやはり大谷翔平(エンゼルス)だが、アマチュア時代からプレーを見ていても、ここまでの選手になると想像していた人はいなかったのではないだろうか。筆者も高校2年夏の甲子園、秋の東北大会(代打での出場のみ)、高3春の選抜高校野球と3度現場で大谷のプレーを見たが、現在のような姿を想像することは全くできなかった。
特に驚かされるのがバッティングの部分である。高3春の選抜では大阪桐蔭で春夏連覇を達成するチームの藤浪晋太郎(アスレチックス)からいきなりホームランを放っているものの、高校野球によくいる“バッティングも良いピッチャー”という印象であり、メジャーリーグで40本以上のホームランを打つパワーヒッターになるイメージはなかった。
そして、それは大谷自身にとっても同じだったのではないだろうか。高校時代の大谷が書いたという目標設定シートにもそれは表れている。これは通称『マンダラチャート』と呼ばれるもので、最も大きな目標を中心に書き、それに必要な要素を9項目書き出し、その9項目に対して必要なことをさらに細分化して9項目書くというものである。大谷の書いたシートには中心に「ドラ1(ドラフト1位)8球団」とあるが、それに必要となる野球の技術的な項目はコントロール、キレ、スピード160km/h、変化球とすべて投手に関することであり、野手の要素は1つもない。このことからもあくまで投手としてプロ入りを目指していたことが分かるだろう。
ただ、ピッチャーとしても選抜の大阪桐蔭戦では11個の四死球を与えており、スピードはあるものの安定感には欠けるという印象は否めず、完成度に関しては藤浪のほうが上だったことは間違いない。

高校時代の評価は野手として見られていた

では、プロの目利きであるNPBのスカウトは当時の大谷についてどう見ていたのだろうか。高校時代の大谷を実際に見ていたスカウト4人に、まず投手と野手、どちらにより魅力を感じていたかという話を聞いたところ、投手と答えたのが1人、野手と答えたのが3人という結果となった。野手と答えたスカウトの1人は、以下のように話してくれた。

「高2夏の甲子園は怪我をしていましたが、高3春の選抜を見てピッチャーとしてもバッターとしてもすごい選手になるなと思いました。とにかくエンジンが大きい。当時はまだ体が細かったので、その排気量に耐えられない感じがしましたけど、体ができればとんでもない選手になるというのは誰もが感じたはずです。ただ、ピッチャーは比較的選手が出てきますが、スケールのある野手はなかなか出てきません。当時は二刀流なんて考えませんから、どちらかをとるなら野手のほうが良いと考えていました」(セ・リーグ球団スカウト)

 野手と答えた他の2人のスカウトも、投手としての能力の高さは認めつつ、希少性の高さから野手という考えは共通していた。かつて、球界の寝業師と呼ばれた根本陸夫氏(元西武監督など)も投手と野手で目玉の選手がいれば野手を優先するという方針で西武、ダイエー(現ソフトバンク)の黄金時代を築いたが、現場でもそう考えるスカウトが多いと言えそうだ。当時の報道を振り返ってみても、大谷自身は投手として勝負したい気持ちが強いにもかかわらず、プロ側は野手としてのほうをより高く評価しているという風潮もあったことは確かだ。
ただ、高3夏の岩手県大会で日本のアマチュア選手として史上初となる160km/hをマークしたことで、投手としての才能を無視できなくなったという事情はありそうだ。ただ、野手としての大谷を推していた3人のスカウトも、ここまでのホームランバッターになるとは思っていなかったと口を揃えていた。

 そして、それは実際に大谷を指名した日本ハムのスカウト陣も同様だったようだ。当時、チームのゼネラル・マネージャー(GM)を務めていた山田正雄氏(現スカウト部顧問)に、大谷が阪神との強化試合で衝撃的なホームランを放った翌日、社会人野球の東京スポニチ大会で一緒になったときに話を聞いたが、以下のように答えてくれた。

「(投手か野手かで言えば)僕は野手のほうが良いと思っていました。ピッチャーとしても当然良かったけど、コントロールが不安でした。(これほどのパワーヒッターになると思っていたか?との問いに対しては)それは思っていません。スイングが柔らかかったし、うまさがあった。足も速くて肩も強い。高橋由伸(元巨人)みたいな選手になれると思っていました。あんなに体が大きくなるとはね。だから、野手としての見立ては間違ったわけですよね。でも、それだと面白くないから、最近は冗談で『二刀流でこれくらいの選手になるともちろん思ってたよ。それがプロじゃないか』って言おうかなと思っていますよ(笑)」

 二刀流という提案は、球界のパイオニアになるということに魅力を感じていた大谷を説得するための材料という面も多分にあったはずだが、投打ともにそんな思いをはるかに超えるスケールの選手へと成長したことは間違いない。渡米後も二刀流に対して懐疑的な意見は多かったが、“大谷ルール”と呼ばれるレギュレーション変更が実現し、それがWBCでも適用されたというのは改めて驚きである。
 今後もしばらくは二刀流でプレーしながらも、最終的には野手に専念するのではという意見も聞かれるが、高校時代に受けてきた評価をことごとく覆してきたことを考えると、そんな未来予測も小さなものに聞こえてくる。40歳を過ぎても二刀流として一流の成績を残し続ける。改めてそんな将来も期待できる今回のWBCでの活躍だった。


西尾典文

1979年、愛知県生まれ。大学まで野球部で選手としてプレーした後、筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から技術解析などをテーマに野球専門誌に寄稿を開始。修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材し、全国の現場に足を運んでいる。