母校、早稲田大学への凱旋
追手門学院大学ラグビー部監督として日本一を経験した後、後藤は自身のマネジメントに強い影響を与えた大学時代の先輩、安藤の創業したコンサルティング会社に入社した。自分を変え、チームを変えたマネジメント理論をもっと深く学びたいと思ったからだ。しかし、入社後3ヶ月間は予想以上に大変な毎日だったという。
「覚えないといけないことも多いですし、設定される目標も非常に高い。恥ずかしい話ですが、代表の安藤に二度『辞めたいです』と訴えたほどです。安藤からの説得もあり、辞めずになんとか食らいつき、一人前の営業兼講師として組織コンサルティングを請け負えるまでになりました。ゼロからの出発でしたが、売り上げ目標を達成できなかった月はほとんどなかったはずです」
コンサルタントとして充実した日々を送る中、後藤に母校の早稲田大学ラグビー部よりオファーが届いた。より深く学んだマネジメント理論を活かしたい、という思いから、2019年に早稲田大学と契約。出向という形で3年間ラグビー部のコーチを務めることになった。
2つのチームの違い
後藤にとって今回は2度目の指導者。だが、両チームの環境は大きく異なる。例えば、追手門学院は創部したばかりのチームだった。選手集めどころか、チームとしての文化づくりから後藤は関わらなくてはならなかった。一方、早稲田大学は伝統もあり、選手層も厚い。組織としての形も出来上がっており、選手たちも積極的に練習に取り組む。そしてスタッツなどをもとに戦略を練る文化もあり、選手たちもそれを是としていた。
また、指導者としての立場も異なり、早稲田大学では、後藤は監督ではなくアシスタントコーチだった。当時の体制内には、監督の下にヘッドコーチ1人、その下に2人のアシスタントコーチがいた。監督は、チームの戦略や意思決定をするトップになるが、アシスタントコーチはヘッドコーチの意向を選手に落とし込む役割であり、中間管理職のようなポジションだ。そのため、追手門学院での「選手の能力を数値化し、明確な基準を設ける」「チームのルールを整える」「独自性のある戦略設計をする」といった施策は後藤の一存では実施できない。このとき、後藤の脳裏には神戸製鋼時代の失敗がよぎっていた。
今だからわかる神戸製鋼での失敗理由
神戸製鋼時代、後藤はリハビリ中のため出場しなかったある練習試合後のミーティングで、コーチに反論した。元キャプテンとしてチームメイトを庇うつもりの発言ではあったが、これをきっかけに後藤の出場機会は激減する。試合に出られないならば、と後藤も評論家のような立場になってチームに所属しながらチームの批判をするようになっていった。
当時を振り返り後藤は「自分の〈位置〉がずれてしまっていた」と話す。「所属している組織に対して不満を吐露する、というのは組織にとっても当人にとってもメリットはないです。例えば組織側からみると、所属しているメンバーの意識がバラバラの方向を向いてしまっていることを意味します。また、当人としても、自分が所属している組織の看板を汚す行為になります。加えて、自己評価が高いからこその批判や不満のため、他者評価を素直に受け入れることができず、成長が鈍化するというデメリットもあります。当時の私はこの考え方が持てず、チーム内にいながら、評論家のように外にいるような発言ばかりしていました。このように〈位置〉がずれてしまっていたのが、失敗した根本の原因にあると、今ならわかります」
組織論を踏まえ、この解決策について、次のように後藤は語る。「〈位置〉がズレる行動を許さない、というのはそうですが、だからと言って『いいから黙って聞け!』というのは少々乱暴すぎます。何かしらの問題や課題は組織が動いていれば必ず発生します。その時に、建設的に解決していくことを目指すことができれば、全く問題ないです。ただ『上が聞いてくれないから』と文句をいうようにさせてしまったら元も子もありません。大切なのは、リーダーがメンバーからしっかりと事実情報を収集し、それをもとに各決定をしていくことです」
中間管理職としてやれること
「アシスタントコーチの自分に求められていたのはヘッドコーチの意図を汲み、それを選手に伝え、指導することでした。そのため、戦略設計などに直接携わるわけではないですし、追手門でやっていたことがこのチームの意向に沿うかどうかも分からない。だからこそ、アシスタントコーチとして求められている役割を全うしよう、と考えていました」
具体的に後藤が意識をしたのは選手の〈迷い〉をなくすことだ。「この指示ってどういう意味だろう?」「どうしてこんな練習をするのだろう」「どうやったらレギュラーになれるだろう」といった悩みを選手たちは抱えている。ヘッドコーチと選手の間に立つ立場だからこそ、この〈迷い〉をなくし、パフォーマンスを高めることに集中できるよう、環境を整える必要があった。ヘッドコーチが求めていることを捉え、スムーズに選手に伝える。伝える上で後藤自身が把握できなかった場合はヘッドコーチに明確になるまで確認し、選手に落とすときには迷っていないように心がけていた。
また、後藤が意識していたのは「決めるのはリーダーである」ということだ。ある時、選手から「この練習の仕方は変更した方が良いのではないでしょうか?」と提案されたことがあった。選手の言うことには一理あり、簡単に否定できるものではなかった。「この変更がチーム全体のパフォーマンスを高めることにつながっているのか」という判断軸で考えた上で、結果的に提案は受け入れなかった。「決してリーダーは選手の意見を聞かずに決めるべきだ、と言いたいわけではないです。今回のような事実情報を聞いた上で、それがチーム全体の利益に直結するのであれば、採択すべきだと思います。ただこの時は、チーム全体の最適化ではなく、その選手個人のやりやすい形の提案となっており、提案を受け入れませんでした」
後藤はこのような姿勢を貫き、選手たちも徹底的な努力を重ねた結果、2019年、早稲田大学ラグビー部は11年ぶりに大学選手権を制し、日本一に輝いた。
組織の一員として機能すること
アシスタントコーチとして後藤は「チームのパフォーマンスを最大化させるために自分の役割を踏まえ、何をすべきか」という判断軸で考え行動していた。追手門学院に赴任して早々の頃には、選手に寄り添いすぎてしまい、強いチームを作ることができなかった。また、選手時代には自分自身の位置を誤解し、チームの批判ばかりを繰り返してしまっていた。失敗があったからこそ、後藤はアシスタントコーチとして職務を全うできた、と語る。
「これまでの失敗を踏まえ、私自身は、自分が組織の一員として機能することがいかに重要かを、改めて認識することができました。私の考えていることが仮に正しかったとしても、そもそも組織が崩壊してしまってはチームパフォーマンスの発揮はありえません。ですので、ヘッドコーチが私の考えと異なっていても、ヘッドコーチの意に沿うなかで選手にコーチングしていきましたし、それが私に求められていた役割だと思っています。その結果チームも強くなり、日本一になることができました。選手の努力が報われた時の嬉しそうな表情は、本当の楽しさとは何かを再確認させてくれました」