井上尚弥を筆頭に近年の統一戦ブームでボクシングファンになじみ深くなった「アンディスピューテッド(Undisputed)チャンピオン」は、そのまま訳すと「比類なき王者」だが、要は誰もが認めるチャンピオンの称号である。
王座認定団体の数が少なかった昔はもっとシンプルだったが、“4ベルト時代”のいま、その手っ取り早い証明は全団体の世界王座を集めること。ヘビー級では初の4王座統一である。
ヘビー級にアンディスピューテッド・チャンプが誕生するのは、約四半世紀前(1999年)のレノックス・ルイス(イギリス)以来となる。58歳になったルイスはフューリー対ウシク戦前からメディアにたびたびコメントを求められていた。
「私は25年間、比類なき王者なんだ」と言ったものである。ルイス引退後、ビタリ&ウラジミールのクリチコ兄弟がヘビー級王座を独占したこともあるが、そこに一人で君臨したチャンピオンは彼以降現れていないのである。
実際、現役時代のルイスが最高だったことに文句をつけられる者がどれほどいるだろうか。
ルイスはジャマイカ人の両親を持ち、幼少期にイギリスからカナダへと移り、カナダ代表としてソウル五輪に出場。スーパーヘビー級で金メダルを獲得した。再びイギリスに戻ってプロに転じ、世界ヘビー級王座を3度獲得。1999年11月にはイベンダー・ホリフィールド(アメリカ)との対戦を制し、王座を統一して比類なきチャンピオンに輝く。引退する時もチャンピオンのままだった。殿堂入りも果たしている。
ちなみにホリフィールド戦にかけられたタイトルはWBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、IBF(国際ボクシング連盟)の3王座だったが、これは現在と異なり、まだWBO(世界ボクシング機構)がマイナー視されていたからである。ファンとしては今以上に「メジャー団体」が増えないことを望む。
ホリフィールドとの統一戦は、1999年に2度行われている。というのも同年3月の第1戦は引き分けで真のチャンピオンが決まらなかったためだ。しかしこの試合は多くがルイスの勝利を支持したうえに、疑惑の判定をめぐって政府機関まで調査に乗り出したほどだった。その8ヵ月後に直接再戦が行われ、今度こそ判定勝ちを収めたルイスはようやく自身の持つWBCタイトルにホリフィールドのWBA、IBFを加えた。
マイク・タイソンの影響力
しかしながら、ここにヘビー級の3王座を独占したルイスが依然として「比類なき王者」であることの証明を必要としたところが、ボクシングの奥深さだろう。すでに世界タイトル戦を10度以上も経験しながら、ルイスがそれに見合った尊敬を受けているかは疑問だった。マイク・タイソン(アメリカ)と戦っていなかったからである。
ランキング1位挑戦者との試合をしなかったとしてWBA王座をはく奪され、「3団体統一王者」でいられたのはわずか5ヵ月だったが、ルイスはタイソン戦実現に向けてこつこつと防衛戦をこなし続けた。この間、一度はハシーム・ラクマン(アメリカ)に不覚をとって王座から引きずり降ろされもしている。2001年4月のことだ。
ルイスは運動能力の高い大型サイズ(身長196センチ、リーチ213センチ)のボクサーパンチャーとして高く評価されながら、試合にむらっけがあり、王座陥落を2度経験している。ラクマン戦も油断が招いた番狂わせとみられた。
もしルイスがラクマンに雪辱しないままリタイアしたとしたら、おそらくは「比類なき王者」の記録を残したにせよ、名チャンピオンとして記憶されることはなかったろう。7ヵ月後の再戦でラクマンをKOしたルイスはついに次でタイソンと戦い、鉄人に8ラウンドKO勝ちを収めた。そしてもう一試合戦ってから(ビタリ・クリチコに6ラウンド終了TKO勝ち)グローブを壁につるしたのだ。生涯戦績は41勝(32KO)2敗1分。
引退から20年、新たな「比類なきヘビー級王者」誕生を見届けたルイス。フューリー対ウシクの勝敗予想を外してしまった元チャンプは、両者合わせて1億1600万ポンド(約224億3000万円=フューリー約158億3000万円、ウシク約66億円)にもなるというファイトマネー総額にはさらに驚いたのではないか(ルイス対タイソンの最低保証額は双方1750万ドルだった)。
旧敵タイソンは近々、ユーチューバー・ボクサーとグローブを交わすことになっている。きっとそれなりのマネーを手にするに違いない。一方この件をきっかけに、自身のタイソンとの“再戦”について聞かれたルイスは「お金がものを言うよ」と悪戯っぽく語ったそうだ。冗談であってほしいが……。