アルゼンチン・メディアの報じた日本戦

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フットサル日本代表は1月25日と28日に国際親善試合を行い、アルゼンチン代表と対戦し、2-4、1-4と連敗した。2016年10月にコロンビアで行われたFIFAフットサルワールドカップを制した世界王者は、歴然とした力の差を見せつけた。

世界王者との対戦から見て取れた日本とアルゼンチンの違いは何か。

国内2年ぶりのAマッチは、2月1日から開幕するAFCフットサル選手権チャイニーズ・タイペイ2018の壮行試合だった。あくまで本番は台湾で行われるアジア選手権であり、壮行試合は準備のひとつだ。日本は本番に向けて、コンディションを調整しており、またFリーグのプレーオフ決勝も21日に終わったばかりで、身体は重かった。攻守の軸として日本をけん引した吉川智貴は「正直、(Fリーグの)疲れは残っているかな。その中でもこんなに良い相手とできることはめったにありませんし、こういう機会は大事にしないといけないと思っていました。疲れはありますが、頭は切り替えて代表モードというか、そういう気持ちで試合に挑むことはできたと思います」と25日の試合後に話していた。同じように25日のアルゼンチンも目に見て取れるほど身体は重かった。アルゼンチン代表監督ディエゴ・ジュストッシ監督は会見で「選手たちが本日見せてくれたプレーは素晴らしく、驚くべきことでした。なぜなら彼らは20時間の移動の後に、8時間の時差がある中、たった1度だけのトレーニングセッションでこの試合に挑んでいたからです」と語った。

後半残り10分になった頃から、日本の猛攻が始まった。吉川、清水和也らが相手陣内からプレスを仕掛け、アルゼンチンを完全に押し込んだ。その時間帯、世界王者の足は完全に止まっていた。来日したばかりでコンディションが万全でないことが直因なのは明らかだ。日本は試合時間の4分の1も、完全に主導権を握っていたが、2点しか返せなかった。アルゼンチンはそれまでに決めた貯金を使い、2点差で勝利した。

アルゼンチンのフットサルメディア「パッション・フットサル」は1戦目の母国の勝利を「アルゼンチンは実に効果的」という見出しで伝えている。自分たちの悪いコンディションを考慮した上で、相手のミスなどで手にした決定的な場面では、必ずゴールをものにした。攻撃を仕掛けた回数も、決定機の数も多いものではなかったが、ひとつも無駄にはしなかった。試合結果を左右する実に「効果的なプレー」が多かった。

攻撃だけを見ると「効果的」は「決定力」という言葉に置き換えられるが、アルゼンチンは守備でも「効果的」だった。失点に直結するミスはしない。もしミスをするリスクがあれば、ボールを蹴り出していた。後半に日本がプレスをかけた場面ではボールをつなぐというリスクを犯さず、大きくボールを外に出していた。リードをしており、攻撃に転じる必要がなく、戦況を把握した上での選択だった。体力的にも、対角線にパスを振られるときついので、そのパスコースは必ず消していた。

日本を相手に一人も手を抜かなかった世界王者

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アルゼンチンは勝利するために最低必要限なことを徹底した。ディエゴ・ジュストッシ監督は「私たちが目指しているのは、“アルゼンチンは戦いにくい相手だ”と言われるのではなく、“アルゼンチンは強豪だ”と言われるチームにすることです」とコメントしていたが、自分たちのコンディションを把握した上で最低必要限の「効果的なプレー」で勝利する姿はまさに“強豪”の戦い方だった。

1戦目でチーム2得点目を決めたルーカス・ボロは初戦を「完璧な試合ができた。相手がこちらに出てきた時に、打撃を与えられた。そして日本がリスクを冒して、攻めてきた時に私たちは苦しんだ。このゲームの良かった点は、試合すべてを通して、誰も相手を過小評価しなかったことだ」と振り返る。そして対戦した日本についても「ディフェンスは私たちの長所だが、日本には多くの集中力を要求された。なぜなら彼らはとてもプレーの強度が高く、縦に速いからだ」と評し、気を抜いて戦える楽な相手ではないことを認めている。

その一方で、ワールドカップでベストゴールキーパーに選ばれた25歳のニコラス・サルミエントは「日本が優位な状況だったが、私たちはディフェンスをしていて居心地が良かった。それは試合を耐え忍んでいるというのは異なるものだ」と終盤の日本の猛攻を脅威とは感じていなかったようだ。なぜなら日本は自分たちの時間になった時にアルゼンチンのような勝負の命運を分ける「効果的」なプレーができなかったからだ。

「効果的」なプレーとは具体的には何か。

富山で行われた2戦目で検証していきたい。

2戦目の日本の意気込みは開始早々から表れていた。ファウルもいとわない姿勢を伴った強度の高いプレーで、自分たちのボールにすると、いきなり清水が先制点を決めた。だが、アルゼンチンはその日本の流れにのみ込まれる前に、相手に立て続けに起きたミスを活かし、すぐに同点にした。日本はゴールキーパー、イゴールのミスからピンチを迎えたが、何とかコーナーキックに逃れた。難を逃れたように思えたが、そのコーナーキックからマークのミスを突かれ、決められてしまった。失点した後に、すぐさま同点にする。数十秒で追いつかれた。スコアボードではまだ同スコアだったが、心理的には圧倒的に同点にしたチームが有利となる。アルゼンチンの実に「効果的」なプレーだった。

前半を1-2で折り返した日本だったが、後半早々の22分、23分に連続で失点を繰り返してしまう。ここでもミスが失点の起因だった。1点差で追いつこうと後半に挑んだ日本だが、すぐさま出鼻をくじかれ、試合は殺されてしまった。

日本に見られたピッチ内外の課題

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アルゼンチンは試合の流れを読んでいる。

試合を優位に進めるためにはどの時間帯に得点をすればいいのか、失点をしてはいけないのか、ミスをしてはいけないのか。彼らは試合を読み間違えない。対照的に日本は最も傷が深くなる時間帯に失点を許した。先制点直後、主導権を握るために、落ち着かせるためにも少なくとも4、5分は絶対に失点を許してはいけない時間だったが、すぐさま同点に追いつかれた。後半開始直後も同じだ。逆転するために決して失点をしてはいけなかったのに、2点を奪われた。日本は試合の流れを読めなかった。

アルゼンチンにあって、日本になかった「効果的」なプレー。それは試合を読めるか、読めないかという能力に帰結する。その能力を手にするにはどうすればいいのか。それは代表チームというだけでなく、日本のフットボール全体の問題でもある。アルゼンチン人は、コートにいる選手だけでなく、観衆も知っている。どの時間帯に失点してはいけないのか。いつ得点が必要で効果的か。かの国の民は、フットボールをよく知っている。

日本はどうだろうか。世界王者を苦しめる前線からのプレスがあった。思わず狡猾なアルゼンチンが苛立つほどのプレーの強度の高さがあった。どのチームにとっても「戦いにくい相手」に日本はなりつつある。吉川、FP清水和也、FP逸見勝利ラファエル、FP室田祐希といったタレントある選手もいる。しかし、日本が真に「戦いにくい相手」になるには試合を読む能力が必要だ。それは試合の積み重ねから、ひいては下部組織などから蓄積される習慣から習得できるものだ。

25日に東京で行われた1戦目、サポーターがより大きな声を挙げたのは、ゴールシーンであったり、清水が決定的なシュートを外した場面だった。日本が会場を沸かす猛攻をしかけられたのは、吉川を中心としたハイプレスで主導権を握れたからだ。プレスを仕掛け、前線でボールをカットする。もしくはその時間帯に続けて、チーム全体でプレスをはめて、アルゼンチンにボールをクリアさせた。反撃の狼煙を上げるうえで実に「効果的」で重要なプレーだった。

しかし、こうしたプレーにスタンドから拍手はなかった。

日本が試合を的確に読み「効果的」なプレーをするには、日本国民全員とは言わないまでも、少なくとも代表戦やFリーグのスタンドを埋める観衆にも最低限の試合を読む力が求められる。国内で世界トップレベルの国々と対戦する代表戦が行われるのは年に一度あるかないか。それでは、なかなか『目』を養うのは難しいのかもしれない。だが、代表チームは、まさにその国の総力だ。日本のフットサルを形成する私たちひとりひとりの目も問われている。

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2002年からフットサル専門誌での仕事を始め、2006年のドイツワールドカップを前にサッカー専門誌に転職。その後、『ゲキサカ』編集部を経て、フリーランスとして活動を開始する。現在はサッカーとフットサルの取材を精力的に続ける。