ルールの境界

 結果は、誰でも知っている。5月19日の内田監督の辞任だけでは、「タックル事件」は終わらなかった。その前々日、5月17日におこなわれた関西学院大学の記者会見ですでに、核心的な理由は示されていた。

「特に疑問を抱いているのは、なぜ昨年の甲子園ボウルや今週の試合で、ルールの範囲内でプレーをしていた選手が、突然このような意図的で危険かつ悪質な行為に及んだのかという点です。どのような指示・指導が入り、本人がどのように理解・判断して、このような行為にいたったのか。本件の回答書が問題の本質とする指導者による指導と、選手の受け取り方との間の乖離について、真摯な調査に基づいた具体的な説明をいただきたく存じます。それがないと予防策は成り立たないというふうに考えております」

「不思議な点」は、関学大が指摘する通りだろう。

「なぜ昨年の甲子園ボウルや今週の試合で、ルールの範囲内でプレーしていた選手が、突然このような意図的かつ悪質な行為に及んだのか」

 関学大の指導部やタックルを受けた選手の父親の発言は、その原因を「指導者の指導」のみに帰している。もちろん、内田監督や井上コーチが新任の指導者であったならば、宮川が豹変した原因を、彼らに求めるのは間違いではないだろう。

マスコミの明暗法

 けれど実際には、昨年日本一になり、(宮川も含めて)フェアプレー賞を受けたフェニックスを率いていたのも、内田監督や井上コーチなのだ。

 もし、「悪質な行為」の原因が即座に指導者に求められるのであれば、フェアプレー賞の栄誉もまた即座に指導者に献じられるべきではないか。もちろん、本気で言っているのではない。栄光も失態も、すべてはまず選手のものであるべきだ。
 
 この事件では、宮川を擁護するために、徹底した「切り離し工作」がおこなわれた。その過程で「フェアプレー賞を獲った宮川」と「悪質なタックルをおこなった宮川」は切り離され、日大フェニックスの指導陣から「篠竹幹夫」も切り離された。

〈日大は故篠竹幹夫監督が妥協しない指導で闘志あるプレーを求める一方で、反則した選手は交代させる規律があった。日大らしさの復活と評価された陰で、篠竹監督時代にコーチだった内田監督は言葉で選手を追い込み、闘志を曲解させる指導を横行させていた〉*

 この記事に酷い指導の実例は書かれていないが、前年のフェアプレー賞が〈言葉で選手を追い込み〉、〈闘志を曲解させる指導〉から生まれたことを、新聞記者たちはどのように説明するのだろうか。
 
 篠竹は、日大を17度もの甲子園ボウル優勝に導いた名物監督だが、長時間に及ぶ非科学的な練習や鉄拳制裁でも知られていた。そのことを、新聞記者たちが調べていないはずはない。なぜ、コーチだった内田が篠竹の後継者となり得たのか。その実情も同様である。
 
 篠竹は、内田にフェニックス監督の座を禅譲したのではなかった。非科学的な練習メニューの改善、鉄拳制裁の廃止など、現代化を図るために、内田はなかばクーデターのような形で篠竹を隠居させたのだ。
 
 だが、今回の騒動では、メディアは内田を叩かねばならない。ならば、闇を濃くするために、篠竹の後光を強調しよう——手軽に記事を作るため、記者たちは「明暗法」を多用する。問題があるなら、その問題を直接語れば良いはずだが、暗部を際立たせるために「~に比べて、~はダメ」と単純化する手法は使い勝手がいいのだろう。
 
 その点、今回槍玉に挙げられた内田は、篠竹と対比するまでもなく、絶好の「悪者」だった。フェニックスの監督のみならず、日大・体育会の頂点である保健体育審議会の局長であり、人事部長も兼任していた。いわゆる権力者だ。それからもうひとつ、彼はきわめて口ベタだった。

* 毎日新聞(2018年5月16日付)

お前ならできる

 ウェブでの炎上騒ぎをきっかけに犯人捜しを始めたメディアは当初、監督の内田を悪党に仕立て上げようとしたが、現場では違和感を覚えている記者もいた。

「周辺取材では、内田監督の良い評判より、悪い噂のほうが多かったです。特定の選手に対して、ものすごくプレッシャーをかける(ハマる)話も、すぐに聞けました。ただ、取材を進めても、内田監督と宮川選手の関係ってそこまで見えてこなかったんですね」(週刊誌記者)

「そりゃ、そうです。監督は、そんなに(宮川に)思い入れというか、こだわりはありませんでした。監督だけでなく、コーチ陣のほとんども、関学戦では宮川を外したほうがいいと思っていたし」。そう、はっきり口にしたのはフェニックスのスタッフ(当時)だ。

「まず前提として、宮川の才能については、監督以下コーチまで含めて皆が認めていました。でもね、もともと、日大豊山高校の(アメリカン)フットボール(部)はめちゃくちゃ弱かったんです。不良のたまり場みたいなもんですよ。
 そこに送り込まれたのが、日大を卒業して、そのままフェニックスの寮長になった井上さん。井上さんが行ったら、そこに宮川がいた。最初の1年目は勝てなかったけど、2年目以降はめきめき強くなって、もちろんエースは宮川です。そのまま宮川たちと一緒に、井上さんもフェニックスのコーチに戻って、宮川は大学1年からスタメンで起用されました」

 井上は、自ら発掘した宮川の素質にほれ込み、半ば強引に、宮川を1年からスタメンで起用するよう、ヘッドコーチや監督に掛け合ったのだという。

「もちろん才能の片鱗はありましたが、大学1年と4年じゃあ、あまりに体格が違う。だから、宮川の起用に反対するコーチもいました。でも、試合じゃあ、良かったですよ。まだ出来上がっていない線の細い身体で、相手チームのデカい4年を思いっきり潰しに行って、逆に、自分が跳ね飛ばされて。ボコボコにやられてるんだけど、闘志はあったな」

おかしい

 2年になると徐々に身体も大きくなり、甲子園ボウルでも活躍するようになった。だが、学生選手としての集大成を迎えるはずの3年になると、突然、プレーの質が変わってしまったという。

「指導部のなかで、『宮川の様子がおかしい』という話になったのは、新人(1年生)が入ってきて、すぐです。練習で、当たる相手が1年生だと、手加減して、本気で潰しにいかない。あっ、この『潰す』って、怪我させるってことじゃないですよ。レベルの差のある奴にも、ちゃんと本気でぶつかって、ぺしゃんこにするってことです。
 そうじゃないと、相手の練習にはなっても、自分の練習にならない。弱い奴に手加減して練習してると、自分より強い相手とやるとき、実力以上の力は発揮できないものなんです。案の定、春シーズンの日体大トライアンファントライオン戦で……」

 格下の相手に競り負けた宮川は、その2週間後、今度は格上の社会人チーム・オール三菱ライオンズと激突し、ものの見事に敗れた。

「コーチ陣はたいがい見切りましたね。こりゃ、ダメだって。社会人にマウント取られて、あいつ、平然としてたんです。日体大とやったときも、相手は必死にルールのグレーゾーン、きわきわのところで——ぶっちゃけ、破ってもいますよ——勝負しにきてるのに、宮川は紳士的なプレー? 負けてんだから冗談だろって感じですけど、綺麗にプレーして、格下に負けて。試合のあと、井上コーチにめちゃくちゃ、キレられてましたね」

 そしてオール三菱との試合が、あの「事件」が引き起こされる遠因となった。

「そもそも、ライオンズのほうが、我々フェニックスより強いわけです。前の試合でいえば、今度は、我々が日体大の立場。それなのに、また宮川、ひとりだけギリギリの勝負せずに、社会人にひっくり返されて。普通、ひっくり返したら、上になった選手はすぐにどかなきゃいけないんです。
 でも勝負ですから、当然、駆け引きがある。いわゆる、マウントをとるってやつです。倒した相手の上に、わざと長い時間のっかって、見下ろして、力の差を印象付ける。これ、やられたら、跳ねのけて、大声で怒鳴りつけるぐらいの反撃はしなきゃならんのです。でも、それもしない。宮川のやつ、黙って、こう、上にのっかられて見下ろされてるんです」

 こうした結果を受け、コーチ陣の間では宮川を外す動きが加速した。問題の関学戦までは、もう1カ月を切っていた。

「外そうって話になったけど、井上さんだけは『待って下さい。(宮川は)できます』って、熱心にやってましたね。結果、井上さんは宮川に捨てられてるわけだから、今となっては可哀そうですけど。ダッシュの練習から付きっきりで、マンツーマンの居残りもやって」

奨さん

 いよいよ、関学戦が3日後に迫った日、チーム練習で騒動が起きた。

「試合形式の練習で、相手のQBに対して、QBサック仕掛けるときに、途中でやめちゃったんです。ようは、(練習相手は、同じフェニックスの控え選手なので)QBに気を遣ってね」

 QBサックとは、相手のQBがフォワードパスを投げる前にタックルするビッグプレー。つまり、試合で宮川が失敗し——ボールを放った2秒後に——悪質な反則タックルとされたプレーのことだ。

「たしかに普段の練習では、QBにタックルは禁止です。怪我しちゃいますから。だから、練習でQBサックやるときは、相手のお尻をパックせずに触る。でも、ケツ触るとこまでは、全力疾走ですよ。それ、練習でやっとかなかったら、練習の段階でQBの手前でスピード緩めたりなんかしたら、絶対、試合で上手くいかないです。
 だから、QBサックのときは、練習でも、相手にバチーンとぶつかっちゃったり、するんです。でも、宮川は、もう、それはそれは手前でスピード緩めて。で、さすがに井上コーチも練習から外しました」

 ところが、自分で外したにもかかわらず、井上は他のコーチや監督に対して、宮川を関学戦で起用するよう頼んで回ったという。

「やっぱり豊山高校からずっと指導してきたから、思い入れがあったんでしょうね。宮川だって、井上さんのことは『奨さん、奨さん』って呼んで、良い師弟関係のように見えたんですけど」

 名物監督かつ絶大な権力者・内田正人ともに、学生フットボールの世界から追放された井上奨とは、いったいどんな人物なのか。

第8回につづく

Project Logic

全国紙記者、週刊誌記者、スポーツ行政に携わる者らで構成された特別取材班。