海外チアに憧れ、日本との違いを肌で感じたい 台湾最強のチアチームで得た闘争心【競技チアリーディング・笠原園花インタビュー vol. 2】

大学卒業後~世界大会~ドバイへ

 大学を卒業した後も、会社員として働きながらチームに所属していましたが、2016年の世界選手権に日本代表として参加することが決まりました。実はこの時点では「この大会で現役は引退しよう」と考えていました。

 しかしいざ出場した世界大会で痛感したのは、世界のチアのレベルの高さです。台湾をはじめ、海外チアを経験し、世界に勝つために自分がやるべきこと、自分たちが取り組むことを第一にトレーニングしてきたつもりでしたが、技のレベルも表現力もケタ違いだったんです。「これまでやってきたチアリーディングは何だったんだろう?」と、思い悩むほどの衝撃でした。

「このままじゃ終われない」という競技者としてのプライドがむくむくと湧き上がると同時に、「日本のチアを世界基準にまで育てたい」という将来のビジョンが見えてきたのです。海外でのチア経験をさらに高めるために、海外駐在を第一の目標として貿易関連の会社に転職をし、念願が叶って中東ドバイに赴任することになりました。

 ドバイでは、日本への製品輸出のベースとなるネットワークを中東エリアに構築する仕事をしていました。高級ホテルのレストランから、砂漠の砂がうっすらかぶっているオフィスまで、いろいろなところで打ち合わせをしましたね。取引先もアラブやアジアだけでなく欧米圏まで世界にわたり、刺激的な毎日を送っていました。

 その一方で、世界大会で味わった悔しさは薄れるどころか強まるばかり。海外駐在という貴重な時間に100%仕事に打ち込みたい気持ちと、チアリーディングでてっぺんを目指したい思いが真正面からぶつかって、ただただ途方にくれ涙で頬を濡らす毎日でした。その結果、「ドバイでチアしてみよう」という答えにいたりました。

「ドバイにチアリーディングのチームがあるの?」とよく聞かれますが、ドバイは人口の85%ほどが外国人という多国籍都市。インドやフィリピンなどのアジア人をはじめ、イギリスなどヨーロッパからのビジネスマンが数多く駐在しているんです。中でもフィリピンとイギリスは知られざるチア大国! いざチームを探してみると、「実は母国でチアをやってたの」という人がたくさんいました。

 そうして見つけたチアサークルに入ったものの、レギュラーで参加するメンバーが少なくすぐに活動休止してしまいました。だったら自分で作り直そうとイチからメンバーを集め、練習場所の確保、目標設定などを仕事と平行して進めていきました。何もないところからのチームづくりだったので、それはそれは大変でしたね。

「きっと元チアリーダーのCAさんがいるはず!」と狙いを定め、知り合いのつてをたどってエミレーツ航空の社員専用Facebookにメンバー募集の投稿をしてもらったり、イベント会社の社長に「人気アーティストのライブで演技させてほしい」と直談判したり……今思うとどこからあんなバイタリティが出てきたのか、自分でも不思議です。

 そうこうしていると、だんだんメンバーが集まってきて《UAE ALLSTARS》が結成されました。フィリピン、イギリス、フランス、アイルランド、スコットランド、デンマーク、インド、オーストラリア、南アフリカ、そして日本という世界最大規模の多国籍チアチームが誕生しました。

 地道な宣伝活動が功を奏したのか、気づくとイベント参加の依頼が届いたり、地元のインターナショナルスクールのチアチーム立ち上げを手伝ったり、活動の幅が少しずつ広がってきました。今でも当時のチームメイトとはSNSを介して交流しています。

オーストラリアに短期チア留学、そして……

 ドバイでのチーム運営はうまくいっているように見えていたかもしれませんが、私としては選手ではなく、運営者としての役割が増えていることにちょっとだけ違和感がありました。海外に来た発端は「選手としてチアをやりたい」という思いだったので、プレイヤーとして世界レベルのチアスキルを磨きたい気持ちが強くなっていったのです。

 そこでまずは北欧チア一人旅にトライしました。強豪国であるフィンランドやノルウェーを周遊して、各国の代表チーム・選手に会いにいくなどしながら、仕事とチアを両立した生活を送っていました。

 そうして1年が経ったころに、海外の強豪チームでチアをしたいという夢を叶えるためにオーストラリアNo.1のチームに入団依頼をしました。期間は3カ月。仕事ものってきたところだったので本当に迷いましたが、仕事とチアを両立することを目標としていたので、「やれるところまでやろう!」とオーストラリアに行くことを決意しました。

 一番の理由はやはりチアへの情熱が強かったからですが、最終的に背中を押してくれたのは仲が良かった友達の言葉です。

「多くの人が夢を探し、どう叶えればいいかわからない中で、あなたには追いかけている目標がある、情熱がある。自分自身に聞いてみなよ。その夢の途中にオーストラリアがあるんじゃないの? 空高く飛ぶことが、あなたのやるべきことなんじゃない?」

 力強く、そしてストレートに応援された私は会社をやめて行くことも考えましたが、そこは上司に説得されて休職という形に落ち着き、満を持してオーストラリア修行に旅立ちます。

 ただ現実はそう甘いものではありませんでした。私の得意技はできて当たり前レベル。いかに美しく、華やかに演技をするか。みんなそこにフォーカスして練習していたことに正直ショックを受けました。

 日本でやってきたことは? ドバイであれだけ苦労してきてやってきたことは? 成長していたように思っていたのは自分だけで、世界基準で考えると低いところでもがいていただけでした。ふがいなさに歯噛みしながらあっという間に3カ月が過ぎ、ドバイに帰ってきました。

 中途半端はいけないと考え、まずは仕事に集中しようと切り替えたある日、一通のメールが届きました。差出人はオーストラリアでお世話になったチームのコーチ。「世界大会に出てくれないか」というオファーでした。

 コーチからのメールには「世界大会に出る選手を1人探している。3週間後までにメルボルンに来られないだろうか?」とありました。3週間! 仕事は? こないだ休職させてもらったばかりで? チアに向き合うならやめるしかない……か……。

 当然ですが上司は大反対、友人は大賛成。社会人としての自分とチアに打ち込む自分の板挟みに苦しむ中で、母親の一言が決め手になりました。

「上司はあなたの人生の責任をとらないよ。自分がよし、と思うことを大切にしなさい」

 メールが届いた翌々日、「行きます」と返信を送りました。25歳の冬です。

 オーストラリアチームの一員として出場した世界大会では、「世界6位」という成績を残しました。そしてチームの中心となってもっと活躍できる選手になるために、ビザを取得してメルボルンへ本格的に移住することにしました。

 メルボルンでは選手としてチアチームで活動しながら、コーチとして指導もしていました。生活環境を英語漬けにしたかったからというのが一番の理由ですね。日本食レストランで働いたり、日本人コミュニティの中で暮らす人が多い中で、せっかくオーストラリアに来たのだから生きた英語も身につけたいし、海外生活を心から楽しみたかったのでチアリーディング教室を開いたんです。
 
 生徒さんは日系の方が多かったですが、人とはちょっと違う仕事を自分でやっていったことで出会いの幅も広がりましたし、メルボルンという街の空気感がすごく自分にマッチしていました。

〔笠原園花インタビュー vol. 4〕につづく

<笠原園花>
1992年生まれ。高校でチアリーディングと出会い、大学卒業後は社会人チームに所属。2016年、日本代表として出場した世界大会で海外チームの演技に刺激を受け、17年よりオーストラリア・メルボルンで活動。18年にクラブチームの世界大会「チア・ワールド」男女混成部門で世界6位に入賞。オリンピック種目候補として注目を集める競技チアリーディングの魅力を広め、次世代を担うチアリーダー育成に取り組む。東京都稲城市出身。



VictorySportsNews編集部