「彼は決してあきらめない。NPBには帰らず、ここ(米国)でプレーする」

 米アリゾナ州スコッツデールで11月に行われたゼネラルマネジャー(GM)会議の場で、筒香と契約する米大手代理人事務所「ワッサーマン」の敏腕代理人ジョエル・ウルフ氏は、そう言葉に力を込めた。その後、12月5日付のサンケイスポーツが米大リーグ、ジャイアンツとマイナー契約を結ぶことで大筋合意したことを報道し、米メディアも次々と後追い。招待選手として来春のメジャーキャンプに参加し、メジャー昇格を目指す見通しとなった。

 筒香に対して古巣はもちろん、関係者によると巨人など日本の複数球団が獲得に向けて強い関心を示していたという。2023年はレンジャーズとマイナー契約を結んでスタート。3Aラウンドロックで51試合に出場し、打率.249、6本塁打、33打点とまずまずの結果を出していたが、トップチームの編成からもメジャー昇格のチャンスは少ないと伝えられ考え、自ら6月に契約解除を申し出た。実際に、その後は日本の球団から破格オファーも届いたが、8月に選んだ新天地はなんと米独立リーグ(スタテンアイランド)の舞台。12試合で打率.359、7本塁打、13打点と実力の違いを示し、ジャイアンツとのマイナー契約を勝ち取った。

 最終的に2023年は米挑戦4年目で初めてメジャーでの試合出場がかなわなかったものの、この1年間のいくつもの決断を見て分かるのは、筒香に「あきらめる」という選択肢がないこと。「あきらめるというのは最も簡単な選択肢」。常々口にするその哲学を、文字通り体現したといえ、よほどの事情がない限り、この男が米国での成功を勝ち取らずして日本に帰国することは、まずないことがうかがえる。

 筒香は決して“器用”な選手ではない。高校通算69本塁打の実績を引っ提げて、横浜高からドラフト1位で2010年に鳴り物入りでDeNA入団。大きな期待をかけられながらも、想像以上に長い雌伏の時を過ごした。プロ3年目に108試合に出場し、初の2桁となる10本塁打をマークしてブレークの兆しを見せたが、翌年は23試合の出場で1本塁打と低迷。パ・リーグ所属のある強打者とのトレードが水面下で動き出したほどだった。

 プロ5年目の2014年に打率3割、22本塁打を記録。7年目の2016年には打率.322、44本塁打、110打点と、ついにその才能を開花させ、一気に球界のスターの仲間入りを果たした。同じ高卒の選手で言えば、プロ入り5年でメジャー移籍を果たした大谷翔平(日本ハム)、プロ1年目から2桁本塁打を記録して4年目以降は常に30本塁打超をマークした松井秀喜(巨人)らとは明らかに異なるスターへの道を歩んだ筒香。「不器用」を自認する男は、いつも努力と試行錯誤を繰り返し、愚直なまでの取り組みを続けて成功をつかんできた。

 背中を追う者がいるからこそ、“たった4年”で夢をあきらめるわけにはいかない。12月2日、筒香は生まれ故郷の和歌山・橋本市に建設した「YOSHITOMO TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」の竣工式に出席。3万平米の広大な土地に、両翼100メートルの天然芝のグラウンド、室内練習場などが設けられた施設を、約2億円の私費を投じて完成させた。兄・裕史さんとともに小学生対象のボーイズリーグのチーム「Atta Boys」も立ち上げ、「世界で活躍できるような人材を足元からつくっていきたい」との決意を表明した。思いは野球の世界にとどまらない。自らの選択で夢を勝ち取れる人間を育むことを一つの理想にしている。

 ダルビッシュ有(パドレス)、山本由伸(オリックス→ドジャース)らと契約する敏腕代理人、ウルフ氏は「私の知る選手の中でも最もタフな一人」と言い切る。挫折にめげず、苦い経験も前向きに捉え、一歩一歩着実に前進していくのが筒香の矜持。米挑戦5年目となる2024年。「あきらめが悪い」男は、その背中で人生に必要なことを多くの人に示している。


VictorySportsNews編集部