「周りと比べて頭一つ抜き出ていた」田口選手がキーパーとなったきっかけ
―サッカーを始めたきっかけとゴールキーパーになったきっかけを教えてください。
田口:サッカーを始めたのは4,5歳くらいの時で、家の近くに住んでいる友達がサッカースクールに通っていて、「一緒にやろう」と誘ってもらったのがきっかけです。そこからサッカースクールに通って、小学校に上がり、始めは小学校内のチームに所属していましたが、小学3年生の時にクラブチームのセレクションに合格して、横浜の戸塚にあるジュニオールサッカークラブに所属しました。最初はいろいろなポジションをしていましたが、小学4年生の始めくらいからキーパーになりました。きっかけはキーパーだった子が腹痛で試合の直前に出られなくなってしまい、当時チームに一人しかキーパーがいなかったので、背が高かった僕が代わりに試合に出ることになりました。そこで活躍することができ、自分でも楽しかったので続けてみたいと思い、キーパーを始めました。
―そんな簡単にゴールキーパーができるのですか。
田口:背が高かったので、他の人よりは届いたのかなと思います。
―何㎝でしたか。
田口:小学6年生の時に168cmありました。そこからはあまり伸びませんでしたが、小学生の時は周りと比べて頭一つ抜き出ていましたね。
―家族でサッカーやっている人はいましたか。
田口:父がサッカーをしていて、キーパーもやっていたので、公園で一緒にキーパーのパス練習をしていました。試合を見て細かい指導をされた記憶はありませんが、公園で練習をしたことは覚えています。
―競技を始めた時の心境はいかがでしたか。
田口:サッカーを始めた時は楽しかったです。小学校のチームに入った時、自分は試合に負けたら悔しくて、みんなの輪から外れて泣いていました。みんなは負けても「楽しかったね」という雰囲気で、その温度差が悔しかったのを覚えています。
それを見ていた父が、もっと上を目指したい人たちが集まっているチームを探してくれて、ジュニオールサッカークラブに辿り着き、セレクションを受け、合格できました。その時から負けず嫌いでしたね。
―ジュニオールでは同じ温度でできましたか。
田口:「プロになりたい」、「サッカーがうまくなりたい」、「絶対あいつには1対1は負けない」など、負けん気が強い仲間が多かったですね。
―セレクションはどんな感じでしたか。
田口:Jリーグのセレクションとは違って、チームの練習に希望者が参加して、一緒に練習をしてみて、合格をもらったら正式に所属できるという感じです。練習参加のようなイメージです。
「一対一では絶対に負けるな」小学校時代で培われたもの
―チームが変わった当初はいかがでしたか。
田口:うまい人が多いなと思っていました。小学校の1,2歳差は大きかったので、こんなうまい人がいるのかと驚いたのを覚えています。
―最初から通用しましたか。
田口:全然できないという記憶はないので、それなりに混ざれてうまくできていたと思います。
―ジュニオールの練習は毎日でしたか。
田口:平日は週3回くらいで、土日は練習試合でした。頻度多くやっていた記憶があります。
―ジュニオールに移籍して印象に残っている試合はありますか。
田口:最初に出た試合で、フィールドプレーヤーとして出たのですが、キーパーと1対1という大チャンスで、ポストに当てて外したのを覚えています。
―悔しかったですか。
田口:そうですね。最初は決めたいなと思っていたので悔しかったです。
―ジュニオールのレベルはどのくらいでしたか。
田口:僕がいたころは、横浜市の大会でベスト16にほぼ入っていて、成績が良い時は決勝戦までいきました。今はわかりませんが、当時の決勝戦はニッパツ三ツ沢球技場でできたので、そこをモチベーションにして頑張っていました。バディあざみ野よりは下でしたが、そのチームと良い試合ができるくらいの良い選手が揃っていましたね。
―4年生からずっとキーパーでしたか。
田口:一応キーパーのユニフォームを作ってもらって、公式戦はキーパーで出ていましたが、練習試合ではフィールドの誰かのユニフォームを借りて試合に出ていました。
―小学校全体を振り返って印象に残っていることはありますか。
田口:チームの代表でもあった方が毎年6年生の監督なのですが、今の時代ではパワハラで訴えられるような厳しいコーチでしたが、その監督が6年生の終わりに亡くなってしまいました。その数か月前に県大会があって、僕らの代はなかなか上にいけなかったのですが、その大会だけベスト8までいけて、トーナメントの試合で劇的な勝ち方をした試合があり、その監督がベンチから飛び出してガッツポーズをしていたのを覚えています。それがとても嬉しかったです。良くしてもらっていろいろな思い出がある監督が亡くなってしまったので、今の活躍している姿を見てくれていたら嬉しいなと思います。
―その監督とのエピソードはありますか。
田口:気合を大切にしているクラブで、みんなで声を出して元気を出して戦っていて、声を出さないと怒られるくらいでした。「1対1では絶対に負けるな」とよく言われていて、技術も教えてもらいましたが、心構えを教えてもらったことの方が覚えていて、小さい頃に厳しく接してもらったからこそ、少しのことでは動じない肝が据わりました。当時は恐くて少し嫌になることもありましたが、厳しくしてもらって強くなれたと思いますね。
―挫折経験はありましたか。
田口:キーパーを始めた時から、点を決められたら自分のせいで負けてしまったと思っていました。小学校の大会は4年生と6年生にあって、春秋冬と年3回しか公式戦がなく、さらにトーナメントで1回負けたら終わりという状況で、僕がシュートを止められなくて負けた時は、悔しくて狂うほど泣いていましたね。
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