わっつわっつど
こうして動き出した青森スポーツクリエイションが最初におこなったのは、チーム名の募集だった。2012年9月18日までに、公募で集まった候補は約300件。青森県議らを含む選考会では、最終候補として残った4案のうち、2案の一騎打ちが始まった。
そして津軽半島、下北半島、内陸部を象徴する名称「青森トライアングル・ブリザード」を下したのが、「青森ワッツ」。青森の方言で「熱い」を意味する「わっつ(わぁあつい)」だけでなく、素早く(わっつわっつど)という意味もある。名付け親は、青森在住の会社員、当時46歳の前田さんだった。
デッチ
「ワッツ」の名を受け取った東北第4のチームは、次にマスコットキャラクターを探した。と書き出したが、その前に、最初期からワッツを支え、現在も(青森スポーツクリエイション)事業部ディレクター兼アシスタントGMを務める長谷川万利子の一言。
「いや、デッチさんはキャラクターじゃないんですよ。それはもう、皆さんに言っておかないと。あの夢の国のネズミさんとおんなじです。私たちのような人間とは違う、世界にひとりだけの特別な生き物なんです」
とのことなので、空想の動物だと決めつけるのはやめておこう。チーム名の決定から約半年後の2013年3月11日。青森県立美術館で開かれた選考会に、1メートルを超えるリスに似た可愛いやつを連れてきたのは、当時小学6年生だった浜久保さん。
頭にバスケットボールを載せた、出っ歯の可愛いやつを、彼女は「デッチ」と呼んだ。その場には、他に116種類の見たこともない存在が集まっていたが、「クイッキー」の苗字を与えられたデッチ以外は皆、故郷に帰っていったのだった。
ムナカタ
チームの名前が決まり、マスコット役を務めてくれるデッチも現れ、残るは何か。まだ見ぬ選手たちを束ね、チームを導くヘッドコーチだろうか。ならば適任者は? 単なるプロチームというのではなく地域密着を掲げ、青森県を代表するつもりなのだから、誰でも良いというわけにはいかない。
青森といえば、誰? すぐさま浮かぶ名前もあるだろう。青森といえば、世界の棟方。日本の歴史に裏打ちされた美意識を、自由な闊達な刀捌きと筆捌きで表現した棟方志功先生を差し置いては何も語れないが、2013年4月に招聘されたワッツの棟方もまた日本バスケットボール界のスター選手である。
津軽平野の鶴田町に生まれた棟方公寿は中学2年からバスケットボールを始め、弘前実業高校、拓殖大学を経て、1989年に実業団チームの名門・日本鉱業に入社。道半ばでトヨタ自動車に移籍し、2006年に引退するまで、年間ベスト5に2度選抜、日本リーグのアシスト王も獲得した。引退後は、豊田自動車のアシスタントコーチからヘッドコーチまで務めた立志伝中の人物だった。
就任から2カ月後の6月19日——10月からの開幕戦に向け、「全員が走る、スピーディなバスケットボール」を掲げた棟方は、ふたつのドラフトに臨んだ。ひとつは、bjリーグの特徴であるエクスパンション・ドラフト。先に述べたように、bjリーグの特徴は「序列の魅力(あなたになれないものが、ここにある)」ではなく、「可能性の魅力(あなたにもできるかもしれない)」である。新規参加するチームが、既存のチームから選手を引き抜くことができるエクスパンション・ドラフトには、各チームの戦力を拮抗させる狙いがある。
棟方はこのドラフトで、岩手ビッグブルズの沢口誠(ガード・フォワード)、仙台89ERSの高岡大輔(フォワード)を指名。そしてもうひとつの新人ドラフトでは、「3on3」の世界大会に出場したこともあるポイントガードの原毅人を指名した。
ブルーリングス
チームの中核となる戦力が固まると同時に、チームを支える「もうひとつのチーム」も動き始めた。チアダンスチーム「ブルーリングス」の初代メンバーとなる6人が決まったのである。
〈チーム名には、青く燃える情熱のブルーが凛と輝き、リング(輪)となり、「和」を広げるという思いが込められています〉*
*青森ワッツシーズン報告書(2013‐14)より引用.
県内で23人が参加したオーディション審査の中心は、東北楽天イーグルスのチアリーダー「東北ゴールデンエンジェルス」のインストラクターリーダー・本郷珠美。16歳の高校2年生から26歳まで幅広い人材を確保し、ゴールデンエンジェルスの現役メンバーでもある岩舘千歩(八戸出身)が、ディレクターを務めることになった。
ブースタークラブ(ファンクラブ)の会員も1000人に迫り、資本金7000万円に加えて、スポンサー収入も5000万円を超えることが確実な見通しとなった。