WAT'S GOIN' ON〔Vol. 11〕台湾とりんごのただならぬ関係 情熱の青森ワッツは海をも超える

ふたり

 だが、いくら会長やANEWホールディングスが力を込めようとも、実際にコートの上で戦うのは彼らではない。戦うのは、選手とスタッフとコーチだ。2022年の年明け、まだ正式な契約には至っていなかったが、ANEWホールディングスの経営参画の可能性が見えてきた頃、下山からワッツの未来を託された北谷は、一足先に大きな改革を始めていた。

「2シーズン連続で、地区の最下位でしたから。ここで2度あることは3度ある、をやったら、本当にブースターの皆さんの心が離れてしまう、地元の皆さんの愛着を汚してしまう。心の底から危機感がありました」(北谷)

 関係各所からの批判を覚悟の上で、北谷は肚を決めた。2022-23シーズンに向けて、マネジャー以外は、選手もスタッフもコーチもすべて入れ替え、新しいチームに生まれ変わる。

「けれど、青森ワッツのバスケットのスタイル、流儀は絶対に変えません。そのためには、ヘッドコーチよりも、何よりも先にふたりが必要でした」(北谷)

 チーム創設10周年の記念すべき2022年、その1月1日。北谷は、ふたりのポイントガードに電話を入れた。會田圭佑(当時は京都でプレー)と池田祐一だ。

「ふたりは、もともとワッツでプレーしてくれていましたが……まあ、言うなれば、私と下山さんが器としてのワッツを守るために制限せざるを得なかった部分で、互いに未練を残したまま、袂を分かっていました。でも、やっぱりワッツのバスケットで勝つためには、ふたりの力が必要なんです」(北谷)

 北谷は、下山に覚悟を告げた。

「まだ、私は会長を務めていましたが、ここで勝負に出なかったら、どうなっていたか。今となっては恐ろしいです。でも当時は、これまで守ってきたルール、つまり財源をどう扱うかなどですが……ワッツの状況では、ルールを破れるのはたった1度だけなんです。もしも勝てなかったら、それこそ進行中だったANEWホールディングスの経営参画だって、ご破算になっていたかもしれません」(下山)

 それでも、下山は北谷に懸けた。

「會田と池田は、私に懸けてくれました。それで、もう迷いもなくなったので、あとは高原を口説くだけ」(北谷)

20年来

 高原純平は日本リーグ、JBLでプロ選手として活動し、コーチの経験も豊富な若手指導者だ。長らく越谷アルファーズでアシスタントコーチを務め、2020-21シーズンはヘッドコーチの立場にあった。

「高原とは、大学時代から20年の付き合いなんです。自分が勤め先を辞めて、青森スポーツクリエイションに入るときも話したし、もちろんコーチを始めたときにも。だから、何もかも洗いざらい伝えましたね。

勝負に出る新たなチームは、まず中心にふたり、會田と池田を据えて、彼らの能力と魅力を発揮できる形を作りたい。でも、じつはこれって、高原が好きなスタイルとはズレるんです。インサイドにひとり強力なビッグマンを据えて、そこから全体の戦術を組み立てるのが、彼のやり方だから」(北谷)

 にもかかわらず、北谷はどうしても高原にワッツを委ねたかった。

「コーチとしての確かな手腕はもちろんですが、やっぱり彼の人間力ですね。選手ひとりひとりときっちりコミュニケーションをとって、感情の押し引きも巧み。選手もスタッフも総入れ替えするので、短期間で皆をまとめ上げられる人間力を持っているのは、高原しかいない。もう必死で口説いて、それで最後には『分かった。お前を助ける』と言ってくれたんです」(北谷)

 こうして高原は埼玉を出て、青森へとやってきたのである。

WATS GOIN' ON〔Vol. 13〕につづく

VictorySportsNews編集部