“ハマスタのドン”と“若造社長”の邂逅

もう、あの声を聞けないことが寂しい。もう関内の街角で出くわすことがないのが、もう酒を一緒に飲むこともないのが、もうベイスターズの愚痴を聞けないのが、めちゃくちゃ寂しい。

本当にお世話になった。父親と息子以上に年は離れているけど、めちゃくちゃうまがあった。

ポケットに片手を突っ込んで、奥さんの選んだしゃれたネクタイでビシッとキメたスーツ姿に、真冬なのにコートも着ずに、これまたしゃれたマフラー一丁を両肩に着流していた。にこやかな笑顔で、「よおっ!」と片手をあげた鶴岡さんに、なぜかよく関内の街のどこかで出くわした。
大人の不良、The横浜といったそのいでたち。
かっこいい。誰がなんと言おうと、僕はめちゃくちゃかっこいいオヤジだと思っています。

すごく楽しかった。
なんでなんだろう。関内の街で出くわすと、話をすると、一緒に酒を飲むと、べらんめえ調ににこやかにドヤされるのが、いつも楽しかった。

僕の大好きな人生の大先輩であり、
僕の正義の味方であり、
僕の横浜の先生であり、
僕のハマスタの友であり、
横浜DeNAベイスターズが始まった時からの僕の盟友であり、
横浜の魂そのものみたいだった鶴岡さん。

初めて会ったのは、2011年12月、中華街でのとある忘年会だった。
銀地に紫がきらめくおしゃれなネクタイ姿で、紹興酒を片手にした鶴岡さんと僕が、“ハマスタのドン”と新生ベイスターズの“若造社長”が、示し合わせたように円卓の隣同士に座わらされていた。
親会社DeNAの執行役員だった私が立候補してベイスターズの社長になることが決まってから、鶴岡さんについて「ヤクザの末裔」だとか「怖い」とか、「横浜を牛耳っている」とか「人の話は一切聞かない」とか、“忖度”という言葉が蔓延した今ではその言葉一つで説明がつくような噂をいろいろと聞かされていたが、初めて本人に出会い、言葉を交わしたのが、その時だった。

「おしゃれなネクタイですね」
最初の最初は、たぶんそんな会話だったように思う。本当にそう思ったから。

たぶん鶴岡さんも、新聞などで伝えられていた35歳の若造のベイスターズ新社長・池田純のイメージに、ちょっと壁を持っていたんじゃないかな。
でも僕らはすぐに、「同じ穴のムジナだな」と感じたように思う。
その後、鶴岡さんと僕は中華街で、和やかな雰囲気で結構な量の紹興酒を夜遅くまで一緒に飲んだ。何とはなしに楽しかった記憶、酔っ払って握手した記憶だけが、今の僕にはある。

70過ぎた自由すぎるオヤジに振り回されたアメリカ視察旅行

2012年、横浜DeNAベイスターズ初年度。まだ、株式会社横浜スタジアムと株式会社横浜DeNAベイスターズが別会社だった頃。
これまでほとんど対話をしてこなかった2つの会社、鶴岡さん擁する横浜スタジアムと、僕が率いる新生ベイスターズのメンバーで、一緒にアメリカ、メジャーリーグの球場視察に行くことになった。

当然、2人の間にはまだ微妙な距離感があった。「とりあえずボストンのフェンウェイ・パークとニューヨークに行くか?」と、ハマスタにある鶴岡さんの社長部屋のソファでお茶をすすりながら、2人で何とはなしにそう決めた。

お互い社員を数人ずつ連れ、成田空港で待ち合わせた。「じゃ、行きますか」とうわっつらの和気藹々とした雰囲気とともに、どこか探り合うように飛行機に乗り込んだ。

ニューヨークに着くと、まずはチェックインをしにマンハッタンのホテルに向かった。もちろん、別々の車2台で。

チェックインを終え、「じゃ、1時間後、シャワーを浴びて、近隣の球場視察に行きましょう」と、ホテルのロビーでとりあえず散会。微妙な関係の2社によるはじめての海外視察旅行、微妙な2社の間に「ここから数日一緒か。面倒だなあ……」という空気が満ち溢れていた。

1時間後、鶴岡さんがいつまで経っても現れない。ハマスタの社員が焦って鶴岡さんとコーディネーターに電話していたのを思い出す。

ようやく鶴岡さんが登場。確実に30分以上は遅れていた。
何していたかって? ホテルの横のハンバーガーが有名だったから、着いてすぐに行きたかったんだって! 70のオヤジが、着いてすぐに肉を食いたかったんだって! 若いコーディネーター引き連れて。
僕らはみんな飛行機で疲れていた。当時36歳だった僕も、何はともあれまず、部屋に入って、一息着いて、シャワー浴びていた。その間に、「アメリカ到着直後、まず最初に『肉』食った」んだって。人気で混んでいて遅れたんだって。
笑える! すごすぎる! 好き勝手すぎる!

「自由すぎる、このオヤジ!?」

そこから僕らは、ヤンキー・スタジアムを視察して、メッツのスタジアム、マイナーリーグのサイクロンズのスタジアムにも行った。

2日目の夜、僕らは今後の行程について打ち合わせをしていた。ニューヨークから数百キロ離れたボルティモアのボールパークと、フィリーズのボールパークを見に行き、さらにはお目当てのボストンのフェンウェイ・パークに飛行機で移動する。ニューヨークを拠点にして電車で数日間の視察プチ旅行に出よう、と。にもかかわらず、鶴岡大魔神は
「俺、ボルティモアもフィラデルフィアももう見たことあるから、ニューヨークでジャズ見てるわ。コーディネーター君と一緒に♪」

自由すぎるオヤジでした。

そうして、僕らが列車に乗って数百キロ、生真面目に一泊二日の強行視察旅行をしている間に、鶴岡さんはニューヨークでジャズ三昧だったそう。
後日、コーディネーターに聞いたところによると、夜はジャズバーをはしごしたあげく、ありえないぐらい肉を食らって、最後はラーメンに行ったらしいです。

もはや、愛嬌ですよね。70過ぎているオヤジですよ。肉食いすぎだろ……。

すべての「原点」となった、マイナーリーグの小さな球場視察

嫌厭だったハマスタとベイスターズによる「初めてのアメリカボールパーク合同視察旅行」での最大の収穫、それは……、
僕がダイヤモンド社から出した「BALLPARK」というメッセージフォトクッブに詳細が示されている、その根本となる「コミュニティボールパーク化構想」。

すごいよね、さすが鶴岡さん……。結果は残す、遊んでばかりで身勝手だったくせに。

この時の視察で鶴岡さんが唯一マジメに視察らしい視察をしていたのが、「ダックス」。郊外にあるマイナーリーグの数千人規模の小さなボールパークだ。
ダックは日本語であひる。あひるのマスコット人形を僕と2人で購入し、首にぶら下げて、アットホームな雰囲気あふれる地域の球場に訪れました。

これが僕、池田純と鶴岡さんの2人、ハマスタとベイスターズの2社で行った、横浜スタジアムが今の姿になるまでに至った、2020年のオリンピックの会場として使用されるまでに至った、すべてのすべてのすべてのすべての「原点」。

だってそれまでは、「古くてだめな球場」「ベイスターズの問題は球場だ」「みなとみらいにドーム球場をつくって、そっちに移るべきだ論争に負けそうだった球場」と、問題視されていた。
もはやみんな忘れていませんか?

僕らは、ダックスの球場にあるほとんど試合の見えないパーティールームのテーブルの一つで、全員でビール片手にご飯を食べていた。
その前に、球場のおんぼろの会議室で、スタッフ同士で意見交換をさせてもらっていた時には、正直、「あんまり学ぶことはない。やっぱりマイナーリーグのさらにその先の独立リーグのチーム、球団、スタジアムだな」と感じていた、その矢先のこと。
プレイボールがかかっていたにもかかわらず、地元のファンの人たちは、みんな楽しそうに、ワインやビール片手に、野球場のレストランで会話を楽しんでいた。家族、友達、じいさん仲間、地域にある多種多様な「コミュニティ」が、そこにはあった。

みんな野球なんて、まったく見ていませんでした。
楽しんでいるのは、「会話」、でした。
野球が「つまみ」でした。
野球をきっかけに地域の人が集い、会話を育む場所でした。

僕は正直、「なんだ? なんだ、これ???」と。
鶴岡さんはにやにやと、とても嬉しそう。
分かっていたんでしょうね。他は、ニューヨークでジャズを楽しんで、ここだけ来た。
こういう世界観をつくりたかったんでしょうね。それをわかってくれるパートナーが欲しかった。
「コミュニティボールパーク」の“真髄”を2人で楽しんだ夜でした。
2人で買った、ダックスの手長人形。これは僕の野球の根幹となるグッズです。
今は娘に渡しました。これだけは、野球から離れた今もずっとずっと大切な宝物です。

その時に、2人でワイン飲みながら語ったのが、横浜スタジアム、横浜の野球、ハマスタの未来の構想でした。
「『コミュニティボールパーク化構想』ってどうですか?」

鶴岡さんは、「いいねー、それ」「やりたいことをやれ」「やっと、横浜を見るやつが球団の社長になった」と言っていたのを覚えています。

「コミュニティボールパーク化構想」は、実はこの2012年の視察旅行で生まれたものだったのです。

(C)Kyodo News/Getty Images

横浜スタジアムができるまで… 鶴岡博の男気

鶴岡さんは横浜スタジアムをつくるために尽力された一人でした。

僕の知らない2011年以前のことは、鶴岡さんの奥さんにアルバムで見せてもらって少しだけ垣間見せていただきましたし、鶴岡さんから渡された「横浜スタジアム物語(神奈川新聞)」も読みました。
じかに経験していないと、そこの場にいないと分からないことだとは思いますが、それまでの横浜スタジアム物語をかいつまんで説明させていただきます。あくまでも私の勝手な“理解”であることをご了承ください。

昔々、鶴岡博という角刈りの、結構勉強のできる男気溢れる青年がいたそうな。
“人”が大好きで、お祭りが大好きで、言ったこと・口にしたことはやり通す人間であったそうな。
そんな折り、ふと東京の郊外の都市であった横浜に、プロ野球の球団が移ってくるチャンスが訪れた。
今とは違って、まだまだ横浜が微妙な地方都市であったご時世。
横浜の人々は、お金もかかるし、将来もまだまだわからんし、主体的に巻き込まれるのは……、とちょっと遠巻きに見ていたそう。
そうしたらなんと、東京の資本、横浜“外”の資本が、ハマスタを建設するとか。「東京資本」が横浜をどうにかしようと先物買いのごとく言い出したそうで、それに“気持ち”“心意気”で反発を覚え、「横浜にプロ野球がくるんだったら横浜の資本で横浜の球場をつくらなきゃいかん」と、至極まっとうな本質論を唱える青年が出てきたらしい。
それが鶴岡博。
突然、青年会議所の中心となって、どうにかしようと奔走する毎日になったらしい。
「横浜」を「東京」に渡すものか、と。

先日、鶴岡さんの奥さんに、一冊にまとめた「アルバム」を見せていただいたが、そこにあったただ一つの「新聞記事」。鶴岡さんは数え切れないほど記事になっていたのに、「鶴岡博のアルバム」にあった記事はたった一つだった。

僕はその記事を読んで、すごいと思った。
詳細は記さない。でもこの記事はすごい。みんな見た方がいい。すごすぎる。
僕の知らなかった昔のこと、横浜の野球の、ベイスターズの根幹となる記事だ。今のハマスタ、ベイスターズの根源が見えた。

それは鶴岡博、当時の若かりし鶴岡博の偉業だ、と僕は思う。

長くて疲れたから、僕ももう書くのをやめる。今日はここまで。
僕も同じく自由人だから。
またどこかで書きたい。
僕は鶴岡さんが大好きだから。

P.S.
銅像ぐらいすぐにつくってもらいたい!


<了>

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池田純

著者プロフィール 池田純

1976年1月23日生まれ。 横浜出身。 早稲田大学商学部卒業後、住友商事株式会社、株式会社博報堂を経て独立。 2007年に株式会社ディー・エヌ・エーに参画し、執行役員としてマーケティングを統括する。 2012年、株式会社横浜DeNAベイスターズの初代社長に就任。 2016年まで5年間社長をつとめ、観客動員数は1.8倍に増加、黒字化を実現した。 著書に「空気のつくり方」(幻冬社)、「しがみつかない理由」(ポプラ社)がある。