世界中を席巻するOTTと放映権の高騰

開幕から好試合が続出している2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会は、盛り上がりに欠けるといわれていた日本でも連日テレビ放送されている。いざ始まってみたら、世界のサッカーの迫力に寝不足になったという人も増えているかもしれないが、ワールドカップは出場国だけでなく、それ以外の国々からも大きな注目を集めるビッグイベントだ。

前回の2014年ブラジル大会ののべ視聴者数は32億人、決勝のドイツ対アルゼンチンは10億もの人が視聴したといわれるワールドカップだが、その視聴方法に近年大きな変化が見られる。10億人のうち、3億人近くはインターネット中継を介してスマホやタブレットなどのモバイル機器で視聴したというのだ。変化が目覚ましいスポーツの中継、放映権について「スポーツライツ」の観点から探ってみよう。

インターネットの普及、ブロードバンド、ワイヤレス環境の整備が進み、テレビをはじめとする映像コンテンツの視聴環境はここ十年で大きな変化を遂げた。

NetflixやHuluのようにドラマや映画を配信する業者が急成長を遂げ、Spotifyのような音楽コンテンツ提供サービスも人気を集めている。いつでもどこでも欲しいコンテンツが手に入るネット配信、ソフトごとではなく月や年単位で一定額を払うサブスクリプションは、ドラマや映画、音楽視聴の形を現在進行形で大きく変えている。

テレビの世界では、この変化はより顕著に表れている。
インターネット回線を介した動画や音声コンテンツ提供を行うOTT(Over The Top)と呼ばれる事業者やサービスが、新規参入を果たすと、これまでテレビ局が独占していたドラマや映画、スポーツイベントを提供し始めたのだ。

OTT事業者の登場で視聴者は「テレビ」という箱やテレビ局を介さなくても、好きなコンテンツを配信する業者と契約することでそのコンテンツを楽しむことができるようになった。ケーブルテレビ文化か根付き、ペイ・パー・ビュー(PPV)も浸透するなど視聴者の“専門化”が進んでいたアメリカでは、よりニッチなコンテンツを集中的に提供するOTTの影響でケーブルテレビとの契約を切る「コードカッティング」現象が巻き起こった。

OTT事業者の成長は、スポーツライツ、主にスポーツの放映権にも少なくない影響を与えることになる。イギリス企業であるパフォームグループのDAZNが日本のプロサッカーリーグ、Jリーグの放映権を10年で2100億円!という驚愕の高値、かつ長期契約で買い取ったのだ。一部には世界的なスター選手、イニエスタ(ヴィッセル神戸)の移籍にも直接的に関与したといわれるDAZNマネーの恩恵はいうまでもないが、これまで既存の放送局が手を伸ばさなかった世界中のスポーツがOTT業者によって価値を見いだされ、買われている現状がある。

(C)Getty Images

需要と供給のバランスの上にかろうじて成り立つ放送局とOTTの秩序

世界中で放映権を買い漁り、放送局と肩を並べようとするOTT業者の隆盛を見ると、「テレビのスポーツ中継はすべてOTT業者に買い占められてしまう日が来るのでは?」「無料のスポーツ中継は姿を消してしまうのか?」という不安の声も聞かれるが、OTT、スポーツライツに詳しい複数の関係者に話を聞いたところ、既存の放送局がOTTに取って代わられる、無料のいわゆる“地上波”のスポーツ中継が消滅することはないというのが大方の見方だ。

彼らの念頭にあるのが、国によるスポーツの価値の違いを表すコンテンツの分類だ。

(C)VictorySportsNews編集部

上表は、日本のスポーツライツの概要だ。分類法はさまざまあるようだが、世界のスポーツライツは、概ねTier1~3に大別される。
日本の場合、「マス需要が見込める」Tier1には、サッカー、野球、ゴルフ、テニス、そして相撲、「需要があまり見込めない」Tier2は、ラグビー、モータースポーツ、バレーボール、バスケットボール、卓球、水泳、陸上、「完全ロングテール」に分類されるTier3には、アメリカンフットボール、クリケットやホッケー、オージーフットボール、ハンドボールなどその他のスポーツが並んでいる。

各競技のファンには納得いかない点もあるかもしれないが、マーケッター目線で競技人口、視聴者数などを割り出したものなのでご容赦いただきたい。

これがアメリカなら4大プロスポーツ、インドならクリケット、アイルランドならゲーリックフットボール、オーストラリアならオージーフットボールがTier1に入ってくる。国によって競技の価値が変わる。これが縦軸になる。横軸にはライツホルダーが入る。これは国による大きな差はなく、一律にテレビ、ニューメディア、ベッティングという3つに分けられる。

競技の需要による縦軸と、ライツホルダーの種別である横軸。スポーツライツは、この2つの指標で分類できる。

多くの関係者が、OTTの成長が既存放映局の消滅につながらないと声を揃えるのは、スポーツライツの需要と供給の問題だ。需要と供給先の縦軸と横軸を考えれば、テレビ、ニューメディアが担う役割があり、その棲み分けはまだまだ崩れることはないというのだ。

Tier2以下のコンテンツについては、引き続きニューメディアが担っていくとして、需要の高いTier1は既存のメディア、テレビ放送局にとっても重要なコンテンツであり続ける。

世界最大のスポーツの祭典、オリンピックの放映権は、2020年までの権利を持っていたアメリカNBCが2032年まで12年間その契約を延長。金額は約76億5000万ドル(約7800億円)といわれている。日本でも、NHK、民放各局で構成されるJC(ジャパンコンソーシアム)が、2018年の平昌冬季オリンピック、2020年の東京オリンピック、2022年の北京冬季オリンピック、2024年のパリオリンピックの4大会に支払うのは1100億円。ワールドカップ・ロシア大会でもJCは、ブラジル大会の1.5倍となる600億円を支払っている。

実施競技を一気にTier1に押し上げてしまうオリンピックやサッカーのワールドカップは誰もが欲しがるコンテンツだ。こうしたビッグコンテンツは、テレビ局、OTT事業者という区分ではなく、青天井に放映権料が上がり、「買えるところが買う」という流れになっている。さらに「公共性」を考えるJCは、赤字覚悟でできるだけ無料で全試合を提供できる努力をする。

現在のところ規模で勝るテレビ放送局は多額のスポンサーフィーを背景に視聴率の見込めるスポーツコンテンツを取りにいっている。OTT事業者は資金力で及ばないので、まだビッグイベントには手が出せないものの、「買わないのではなく、まだ買えない」という関係者の言葉が実情を物語る。

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スポーツライツの価値はライブ性にあり

スポーツコンテンツがここまで人気を集め、各事業者が高値をつけてでも競り落とす理由はどこにあるのか?

スポーツライツの一番の魅力は、ライブ性にある。それが既存の放送局にとってもニューメディア勢にとっても視聴者への大きな訴求になるとわかっているから、放映権はどんどんつり上がっていく。

サブスクリプション型のサービスやハードディスクレコーダーのおかげで連続ドラマすら「何曜日の何時に見る」という習慣を守る必要がなくなり、テレビの視聴時間、視聴率はかつてと比べものにならないほど落ち込んだ。「高視聴率」の基準が大きく下がり、今ではその数字が定着した感さえある。その時に見る必要のないコンテンツになってしまった既存メディアの代表格、テレビの中にあって、唯一、「ライブで見なければいけない」と多くの人が感じているのがスポーツなのだ。

音楽のライブも生で観る楽しみがあるが、ファンは生中継よりも会場で“参加”することにこだわる。スポーツも生観戦が一番の魅力だが、世界中で行われているスポーツイベントは中継で見る前提ができあがっている。そこで生中継となるわけだが、スポーツほど結果を知ってから見てもつまらないものはない。ワールドカップでもUEFAチャンピオンズリーグでも、事前にスコアを知ってしまったら生中継のようには熱中できない。情報をブロックしていても、今の時代、SNSやスマホを通じて情報がプッシュされてくるので完全に遮断するのは難しい。日本では関係ないが、ベッティングのことを考えても、スポーツ好きは生で中継を見ることにこだわるし、その必然性が高いといえるだろう。

世界的な流れでいえば、特に英プレミアリーグで放映権が高騰しているのには、ベッティング大国という、かの国の特別な事情もあるという。ライブベッティングが認められている英国では、視聴者は試合が始まってからテレビを観ながら賭けを行う。中継画面の一定の比率以上でオッズを出してはいけないなどの規制はあるが、ベッティングが主目的でスポーツの生中継を見る人も多いのだ。

3年で約1兆円、1試合でおよそ1000万ポンド(約18億4000万円)の放映料が発生するといわれるプレミアリーグは、スポーツライツ高騰の象徴的な存在。日本とは別の理由で桁違いの金額になっている可能性があるわけだが、ライブで見る必然性がスポーツライツの高騰、目玉が飛び出るほどの放映権料をつくっているのは間違いない。

<後編へ続く>

【後編はこちら】 放映権バブルは弾けるか?スポーツ界を席巻するOTTと2020年大転換期

高騰を続けるスポーツの放映権料は、スポーツの発展、リーグの運営やチームの充実に大きく貢献しています。一方で、青天井に上がり続ける放映権料の未来を不安視する声もあります。OTT事業者の参入で、これまで放映権料を意識していなかった幅広い競技、リーグが高値で「買われて」いる現状は、果たして適正といえるのか? 前回、世界の放映権ビジネスの潮流やスポーツ放映権の高騰の理由について解説しましたが、今回は高騰を続けるスポーツ放映権ビジネスの未来を考えます。

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大塚一樹

1977年新潟県長岡市生まれ。作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はスポーツを中心にジャンルにとらわれない執筆活動を展開している。 著書に『一流プロ5人が特別に教えてくれた サッカー鑑識力』(ソルメディア)、『最新 サッカー用語大辞典』(マイナビ)、構成に『松岡修造さんと考えてみた テニスへの本気』『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』(ともに東邦出版)『スポーツメンタルコーチに学ぶ! 子どものやる気を引き出す7つのしつもん』(旬報社)など多数。