オリンピアンが競技を離れた理由を独白 「ロンドン五輪からリオ五輪までの4年間が苦しい時期でした」

――松本弥生選手は2018年の12月に現役復帰を表明してから、約8カ月が経ちました。まずは現状を教えてください。

「2年間休んだというブランクがあったので、まずは練習をこなすことが最も重要かなと。徐々に慣らすのではなく一気に練習をこなせる体にしていくために、距離も1回の練習で最初から5000メートルくらい泳いでいました。だから、はじめの1カ月くらいは練習後に吐きそうになるくらいきつかったのを覚えています。家に帰ってすぐに寝ちゃうような生活でした」

「練習を始めて2カ月くらいでだんだん慣れてきて、練習中に日本選手権の参加標準記録を突破できるほど順風満帆な感じで練習をこなせていました。ただ、どこかで一度は記録が停滞するだろうとは思っていました。今まさに停滞期にあるんですが、最近は泳ぎに変化をつけて練習しています。キャッチのポイントを変えたり、水をかく強さ、かく位置などを変えたりして、いろいろと試行錯誤しています。なので、この停滞期を乗り越えれば、またひと回りもふた回りも成長できると思っています」


――松本選手は、2009年の世界選手権で初めて日本代表に入りましたね。

「そうですね。初めて代表に選ばれたときは、世界選手権に出られるだけで満足だった自分がいました。結果としては、リレーで日本新記録を出せたけど決勝には残れず、それがとても悔しかった。だから、その後は2012年のロンドン五輪まで、とにかくがむしゃらに頑張り続けました」


――そこからリオデジャネイロ五輪後に休養に入るまで、ずっと代表で活躍し続けてきましたね。

「ロンドン五輪後あたりから、10代のときほど練習をこなせないなと感じていた自分がいました。実は、ロンドン五輪からリオデジャネイロ五輪までの4年間が、私にとってすごく苦しい時期でした」


――がむしゃらに頑張り続けてきた松本選手に何があったんでしょうか?

「その4年間で一番大きく変わったのは、大学生から社会人選手になったことですね。社会人選手になったからには、結果を残し続けなければいけません。だから、とにかく自分の水泳に集中したかった。でも、水泳以外のところのストレスが大きくなってしまったんです。『なんで私がこんなことまでやらないといけないの』って思うこともたくさんありました。それがひとつ目の理由です。もうひとつは、練習ですね。私はスプリンターなんですが、長距離の選手たちと一緒に練習することが多かったので、練習量も普通のスプリンターの倍くらいは泳いでいました。それがすごくきつくて……。練習に対して『本当にこれは私のためになっているのかな』という疑いを持ってしまったことが、苦しくなってしまったもうひとつの理由です」


――そんなことがあったんですね。いつも笑顔で元気な姿を見せてくれていたので、そんな苦しんでいるようには見えませんでした。

「そういうのは、私のキャラじゃないかなって(笑)。でも、試合に行けば仲の良い山口美咲ちゃんとか、同い年の入江陵介選手とか、日本代表の仲間にたくさん会えますし、そういう人たちとおしゃべりするのが楽しかったですし、心の支えだったというのもありますね。そういうのがあったから、苦しくても頑張れたというのはあります」

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東京五輪に向けた覚悟と決意 「あの感覚をもう一度味わいたい」

――そういう苦しさがあったけれど、また競泳という戦いの世界に戻ってきましたね。

「リオデジャネイロ五輪が終わったときには、すでに東京での五輪開催が決まっていましたから、続けるかどうしようかという気持ちになりました。でも、どうしても2012年から2016年までの4年間がとても苦しかったので、また4年間を同じように頑張る覚悟が持てなかったんです。だから、とりあえず2年間は休みたいというのがありました。この休んでいる時間に、東京五輪に対して自分の気持ちを整理していければいいなと思っていました」


――実際に、東京五輪を目指そうと覚悟を決めたのはいつ頃だったのでしょうか?

「2018年の4月ですね。2017年のときは、やっぱりやりたいなと思うんですけど、次の日にはやっぱり辞めようという感じで、やりたいという気持ちが続きませんでした。でも、2018年になったくらいから、また泳ぎたいなという気持ちが続くようになっていました。そのときに、『あ、私は続ける覚悟を持てるようになってきたのかな』と」

「もちろん、覚悟を持ったからといって五輪に出場できるわけではありません。それで、2018年の4月に日本選手権を見て、私のベストタイムを4人の選手が突破したら、そこできれいさっぱり水泳は辞めようと思いました。結果的に、2018年の時点では池江璃花子選手しか、私のベストタイムを超えていなかった。だったら、あと2年で何とかしようと、そこでやっと覚悟と決意ができました。休んでいた2年間でしっかり自分を見つめ直すことができて、今は自分から強くなりたいという気持ちで練習に向かえています。だから、毎日がすごく楽しいです。練習に行くのが楽しいって思えるのは、高校生以来ですね。年齢はフレッシュじゃないんですけど、気持ちはとてもフレッシュにやっています(笑)」


――高校のときというお話が出たんですが、松本選手は確か中学生まではバスケットボールをやられていたそうですね。

「はい。水泳は5歳のときからやっていたんですけど、中学に入ったときにどこかの部活に所属しなければいけなかったんです。それで、2歳年上の姉と一緒のバスケットボール部に入りました。もちろん、水泳の大会には出ていましたし、中学3年生のときには静岡県の国体選手にも選んでいただきました。バスケットボール部の練習をして、そのあと水泳の練習に行くといった生活でした。ちなみに、私のバスケットボール部の引退試合は、5ファウルで退場という素敵なバスケットボール人生でした(笑)」


――バスケットボールをやっていて、良かったなと思うことはありますか?

「バスケットボール部でも結構走り込んだりしていたので、そういう部分が水泳にはつながっていたのかもしれませんね」


――松本選手が今もなお、向上心を持って選手を続けていらっしゃる原動力は何でしょうか?

「単純に、速く泳ぎたいという気持ちですね。試合でタッチして電光掲示板を見て、タイムも良くて自分の名前のところに“1”って表示があったときの『よっしゃー!』みたいな。その感覚が忘れられないというか、その感覚のために頑張っているというか……。その感覚をもう一度味わいたいから、頑張り続けられる。これが、私がもっと速くなりたいと思い続けられる理由かな」

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長きにわたり日本代表として戦ってきた松本弥生が強いチームの秘けつを明かす

――競泳の日本代表のチーム力はすごいと、さまざまなところで話題になります。その代表チームとして8年間戦ってきた松本選手にとって、チームとは何でしょうか。

「競泳の日本代表チームが強い理由って団結力が強いというのもあると思うんですけど、一番は個人が強いからチームが強いんじゃないでしょうか。個人個人が結果を出すことで周りの選手を鼓舞するからこそ、チームが強くなる。だから、チームのために頑張るというよりも、まずは自分のために、自分が結果を残すために頑張る。その結果がチームのためになるという考えですね。たとえば、リレーなら4人が100パーセントの力を出せば、それがチームとしての力になりますよね。そういうイメージですね。その考え方が逆転しちゃうと、『私が失敗しても誰かが頑張ってくれる』という甘えになってしまう。そうじゃなくて、私も頑張る、あなたも頑張る、だからチームが頑張れるというチーム作りが、日本の競泳チームはできているのかなと思います」


――では、あらためて松本選手が目指している、2020年東京五輪に向けた抱負を教えてください。

「東京五輪には、出るのは当たり前。そこで、どういう結果を残すのかが、大切なのだと思っています。最初は、池江選手とメドレーリレーを組んでメダルを取りにいくというのが、ひとつの大きな目標で私のモチベーションでした。でも、池江選手は今闘病中で、今の彼女はすごく頑張っています。だから、チームメートとして、私も頑張って結果を出していきたい。日本女子のリレーが強いんだということを世界に証明したい。そのためには、さっきも話しましたが、個人個人が強くならないといけません。だからこそ、私も今よりもひと回りもふた回りも大きくなって、来年の日本選手権では100メートル自由形を自己ベストで優勝して、東京五輪は笑っていけるようにしたいなと思います」

松本弥生(まつもと・やよい)

1990年3月8日生まれ、静岡県出身。5歳の頃から水泳をはじめ、沼津スポーツセンターに通い続ける。日本体育大学に進学し、2010年に中国の広州で行われたアジア大会でメダルを獲得。2年後のロンドン五輪では、400メートル自由形リレーで44年ぶりとなる決勝進出を果たして7位入賞。リオデジャネイロ五輪でも同競技で8位入賞を果たしている。一度は競技から離れたが、2018年に復帰を宣言。XFLAG所属となり、東京五輪での活躍を目指して、アスリートとしての活動を再開している。

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VictorySportsNews編集部