【21年9月2日 オマーン戦(パナソニックスタジアム)●0―1】<0(試合終了時の勝ち点)>
いきなりつまずいた。相手の堅守の前に攻撃陣が沈黙。ゴールが生まれないまま最終盤に差し掛かり、後半43分に左サイドを崩されて失点した。0―1の黒星発進は前回大会と同様。初戦の重要性を心して臨んでいたはずが、油断が隙を生んだ。

☆クビ覚悟
 森保監督はW杯出場決定後の会見で、この時点で必要があれば自身を解任しても構わないという思いを日本協会に伝えていたことを明かした。「初戦で負けたときに本当に自分でいいんだろうか、という思いがあった。もしダメならば早く代えてもらった方が日本サッカーのためになる。何となくの同情で判断を遅らせることで、結局取り返しのつかないことになってしまうので、そういうことが起こらないように」と当時の心境を振り返った。

【21年9月7日 中国戦〇1―0(ドーハ)】<3>
メンバーを入れ替えて臨んだ第2戦。最終予選初先発の久保が前半23分に左ポスト直撃のシュートを放つなど序盤から相手を押し込むと、前半40分に大迫が今大会の最終予選初ゴールをもたらす。伊東のクロスに右足で合わせ、貴重な決勝点を奪った。ただ、格下の相手にゴールはわずか1点にとどまった。

【21年10月7日 サウジアラビア戦●0―1(ジッダ)】<3>
痛恨のパスミスが重く響いた。柴崎のバックパスが吉田に渡らずに相手へのスルーパスとなり、GKとの1対1からゴールを割られた。攻撃陣は堅守を前に攻撃の形を作れず、絶対に負けられない一戦でまさかの2敗目。サウジアラビア、オーストラリアとの勝ち点差は6に広がり、プレーオフを経ずに本大会に出場できる2位以内浮上が絶望的に見えた。

☆引退覚悟
 試合後に主将の吉田が異例の発言。「サッカーの監督やダイレクターは結果が出なければいつクビが飛んでもおかしくない」とした上で「万が一、予選敗退してしまえば恐らくガラリと入れ替わるだろうし、自分もそこが区切りになる。そんなふがいない結果になればスパッと辞めようと思う」と宣言。代表人生を懸けて残りの予選に挑むと誓った。

【21年10月12日 オーストラリア戦(埼玉スタジアム)〇2―1】<6>
森保監督が打って出た。長距離移動もあり準備期間が少ない中で、それまでの4―2―3―1から、新布陣の4―3―3に変更。中盤の底に遠藤、インサイドハーフに守田と最終予選初出場の田中を配置した。すると田中が先制点をマーク。引き分け濃厚の1―1の後半41分には浅野のシュートがオウンゴールを呼び込み、劇的な幕切れで2勝目を挙げた。反町技術委員長も出場権獲得後の会見で「ここまで来た一つの要因」と語るなど、最終予選のターニングポイントに掲げた一戦。グループ3位は変わらなかったが、オーストラリアとの勝ち点差は3に縮まった。

☆24時間缶詰め
 オランダからベトナムに向かう欧州組11人(吉田、南野、伊東、守田、冨安、板倉、川島、古橋、鎌田、原口、堂安)を乗せたチャーター機が大幅遅延。当初は11月9日朝にベトナム到着予定だったが、給油先のロシアで足止めを食らい、入国できたのは予定より12時間遅い9日深夜となった。査証問題でロシアでの降機は許されず、選手は約24時間機内に閉じ込められる〝缶詰め〟状態の中で準備。ベトナム時間に合わせた睡眠で時差調整を行い、試合に向けた情報共有に励んだ。全28人がそろっての練習は試合前日の10日のみとなった。

【21年11月11日 ベトナム戦(ハノイ)〇1―0】<9>
〝缶詰め組〟の伊東がベトナムの守備網を突破した。前半17分、左サイドの南野が放ったクロスに中央で合わせて決勝点。この試合以後、4試合連続ゴールにつながる快進撃の始まりとなった。最下位の相手に1点のみと攻撃面での課題も残したが、オーストラリアとの勝ち点差はわずか1に。勝つことが最優先の局面で最大の勝ち点を手にした。

【21年11月16日 オマーン戦(マスカット)〇1―0】<12>
三笘が救世主となった。後半開始からA代表デビューを果たすと、伊東の2戦連続ゴールをアシスト。停滞した空気を果敢なドリブルで一変させ、白星に導いた。チームとしても初戦のリベンジを完遂。3連勝を飾り、ついにオーストラリアを勝ち点1差で上回る2位に浮上した。

【22年1月27日 中国戦(埼玉スタジアム)〇2―0】<15>
伊東が躍動した。右サイドを抜けだして上げたクロスがハンドを誘い、大迫が決めたPK奪取に貢献。さらに後半、中山のクロスに頭で合わせて3試合連続ゴールを決めた。守備陣は吉田&冨安の守備の要を同時にケガで欠く予選最大の窮地だったが、最終予選初出場の谷口と板倉が安定したプレーで見事に穴を埋めた。完勝で2位を維持した。

【22年2月1日 サウジアラビア戦(埼玉スタジアム)〇2―0】<18>
「限界論」、「機能不全論」を一蹴した。前半、南野が待望の最終予選初得点を挙げた。2次予選ではトップ下で7戦9発と圧巻の成績を残したが、その2次予選途中から不慣れな左サイドへ移り、精彩を欠くプレーが続いていた。それでも一貫して起用し続けた森保監督の期待に応え、ついに結果を残した。長友も魅せた。中山との途中交代が続き、先発起用が批判の的となっていた35歳は、まるで20代前半のように運動量豊富に躍動。「生きるか死ぬか。今日できなければ代表にいる意味がない。魂の叫びが聞こえた」。後半序盤に伊東の4試合連続ゴールをアシストした。首位を破り、5連勝で3位オーストラリアとの勝ち点差は1から3に拡大。W杯出場に王手をかけた。

【22年3月24日 オーストラリア戦(シドニー)〇2―0】<21>
三笘がまたも救世主となった。後半39分にピッチに立つと、同44分に守田―山根の〝川崎F組〟による崩しから右足で均衡を破る。そしてアディショナルタイムは圧巻のドリブルから2得点を決めた。大迫、酒井という主力を欠いた大一番で、ついに7大会連続7度目のW杯出場が決定。過去に一度も日本代表が勝てていなかったオーストラリアのピッチに、特大の歓喜の輪が広がった。

―総括―

 先発の固定化、ワンパターンとされた采配、主力組に相次いだ負傷や辞退…。最終予選の日本代表には、過去に増して多くの不安の声が寄せられた。ただ、かつて監督解任に至った代表チームがそうであったのとは対照的に、森保ジャパンから内部の不協和音が漏れ聞こえたことはなかった。外の声に揺らぐことはなく、腹をくくって信念の采配を振るう指揮官の姿勢が、結果的に選手の心を束ね、切符をたぐり寄せた。
 出場決定後の会見で吉田が森保監督について語った言葉に、全てが詰まっている。
「監督は1ミリもブレなかった。比較的多くの監督と接してきたけど、悪いときにブレてしまう監督も存在して、そうなると選手も不安になるし疑問を抱きながらプレーする。そういう点が一切見られなかったのは凄い。監督としてというより、人間としてリスペクトできる。そういうところを学ばないといけないと思いながら見ていた」

 史上初の冬開催となるカタールW杯までは残り8カ月弱。準備時間は限られている。
出場権獲得直後のベトナム戦で、指揮官は早速、オーストラリア戦から先発9人を変更。久保、三笘、旗手、上田、中山ら東京五輪世代を中心としたサブ組を多く起用した。だが、彼らのアピールは不発に終わり、後半から起用された伊東、田中、守田ら主力組の力が逆に際立つ結果となった。一部では本大会でのメンバー登録が従来の23人から26人に増えるとも報じられている。各国の選手層の厚みが増せば、日本もなおさら、戦力の拡大は急務だ。
 前回大会で日本は2―0からベルギーに逆転負けを喫し、ベスト16で散った。あれから4年。森保監督にとっては、選手時代にW杯出場を逃した因縁のドーハの地で、「悲劇」を「歓喜」に変える戦いが始まる。先日行われた本大会の組み合わせ抽選では、W杯王者のスペイン、ドイツと同組に入った。残る対戦相手は大陸間プレーオフに挑むコスタリカかニュージーランドとなる。アジアでの戦い方とは異なり、より守備に重きを置く戦いになることが予想されるが、最終予選でも輝きを放った伊東と三笘の活躍が重要な鍵となることはほぼ間違いないと言っていいだろう。日本国内では“死の組”と叫ばれているグループEだが、世界的に見ればはっきりとした2強の構図となっており、決して“死の組”とは呼べない。そして、残り期間のテストマッチでどれだけの国とマッチメイクができるかも、本大会のスタートダッシュに大きく影響してくるはずだ。日本サッカー界にとって悲願のベスト8入りへ、集大成の挑戦が始まっていく。


VictorySportsNews編集部